人気ブログランキング | 話題のタグを見る

L'art de croire             竹下節子ブログ

volupté という言葉、ヴィクトリア朝絵画、ボードレールなど

Jacquemart-André美術館にヴィクトリア時代のイギリス絵画展L'exposition "Désirs & volupté à l'époque victorienne"というのに行ってきた。

このサイトに出てくる8/10 番目の女性の顔は私の好みのツボにはまっているのでどきどきしてしまう。

4/10の男たちの弦楽四重奏を聴いているか見ているかしている女たちの絵は最もミステリアスだ。浮世絵の影響を受けているというのだが、枝や楽器や弓や組まれた脚の斜めの線、横に並んだ男たち、立っている女たちの後姿、アポロン型髭なし男とポセイドン型髭男の配置、裸体の見せ方など、誰でも何か解釈のコメントをしたくなる要素がいっぱいある。

この手のヴィクトリアンの絵というのは、アートというよりイラストに近く、そしてアートになりきれないイラストだけが持つB級の魅力をたたえている。

ラファエル前派やその周辺の画家たちで、一時はすごい人気だったが、その後評価が落ちて、近頃また再評価され始めた。

でもここで書きたかったのは、展覧会のタイトルになっている「volupté 」という言葉についてだ。

Désirs & voluptéという言葉は欲望と快楽だ。

豊満でもあり誘うような体に端正な少女のような顔つきをした若い女たちの内部にたたえられた欲望と快楽やそれを外から眺める視線の欲望と快楽が重なっているのだけれど、それがアートになりきれないのはいったいなぜなのだろうか。

そこでvolupté という言葉だ。

それは、五感の快楽、欲望充足の喜び、のような意味なのだけれど、私にとってこの言葉の語感がはじめて意味をもったのは、多分フランス語を学生時代に習った日本人の多くと同じように、ボードレールの「悪の華」の中のあの有名な「旅への誘い」に何度も繰り返されるリフレインの最後の言葉によってだと思う。

Là, tout n'est qu'ordre et beauté,
Luxe, calme et volupté.

この「volupté」の語感を決定づけたのは齊藤磯雄訳だ。

彼の使う漢字表記をすべて変換できないので常用漢字で音写すると、

彼処(かしこ)、悉皆(ものみな)は秩序と美、
奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快楽(けらく)。


となる。

このリズムは抜群だ。私は大学生の頃、齊藤磯雄さんと文通していたことがあってその時はがんばって旧漢字、旧仮名を使って書いていた。この訳でも漢字の字面と読み仮名の組み合わせがまた絶妙だったと思う。

その「奢侈(おごり)、静寂(しづけさ)、はた快楽(けらく)」は、沈む陽が全てを覆う金と紫の熱い光の中に浮かび上がるのだ。「秩序と美」と言うわりには、爛熟と死の香りもする。

しかし、désirs と voluptéがセットになっている時には、欲望とその充足としての快楽であって、そこで一応完結していることになる。

ところが、充足するような欲望、完結する欲望などは、アートにはなりきれないのだ。

最近、アルチュール・ルスタローという人の『La Ruche』という小説の書評(Philippe-Jean Catinchi - Le Monde du 12 septembre 2013)を読んで感心したことがある。

この小説は、夫に去られた妻が絶望や自己憐憫を憎悪に変えて、三人の娘たちを巻き込んで、地獄のようなねちねちとした負のスパイラルに陥るという話らしい。

女が不実な男を延々と責めて責めて責めまくって、その自分に興奮して、相手も自分も崩壊させていくようなシーンというのは現実世界にも時々ある。相手への憎悪の歯止めが効かないのでいつの間にか自虐的になって自己の破滅に至るのだ。

その相手の男が前にいないと、子供にそれを振り向けることがあるわけだが、子供たちに男の姿や男との愛の歴史などを重ねてしまうので嘆きはより執拗に倒錯的になる。そこに「子供大切」の記憶もあるから子どもを巻き込むことへの罪悪感も重なって、ますます自虐へと転落していく。夫への復讐のために子供たちを殺した王女メデアなどがその典型だ。

小説の書評には

「神が愛を発明し、悪魔が結婚を発明した」

とある。さらに次のような言葉が続く。

「夫に去られた女の中ですべての堤防が決壊する。

彼女は愛を犠牲に供し、自己愛を破壊する。

すべての思い出が傷跡へと変貌する。

憎悪が生きがいになる。

彼女は沈む船に身をまかせ、沈み、ほとんど快楽と共に溺れていく。」

この最後の部分、

Elle s’abandonne à son naufrage, s’y laisse couler, s’y noie presque avec volupté.

とあり、そこに「volupté」 という言葉が使われているのだ。

エロスの対極にタナトスというのがあるけれど、すべての自虐や自滅にはどんなに倒錯しているにせよ、いや倒錯しているからこそのある種の快楽があるのかもしれない。

だとすれば、この場合のvoluptéという言葉は「陶酔」と言った方が近いかもしれない。

私は昔、夫との関係が破綻した女友達が復讐の自死の一歩手前まで追い込まれた時に、すさまじい恨みや憎悪や絶望の繰り言を聞かされ続けたことがある。

そこには確かに自己陶酔の熱狂と迫力があった。

誤解を恐れず言ってしまえば、今思うと、嫉妬を通り越して自己愛の堤防をも決壊させた時の彼女は、不思議な官能的な魅力を発していた。

彼女の転落のvoluptéが私に伝染したのだろうか。

《芸術は爆発だ》と言ったのは岡本太郎だが、すべての堤防を決壊させないようなvoluptéはアートにはなりきれないのかもしれない。

健全な欲望の充足の枠におさまる快楽は、画集の中だけでも充分楽しめる絵画に結晶してしまえるようだ。

このヴィクトリア時代絵画展にも「メデア」を描いたものがあったのだが、

堤防が全然決壊しない、ヴィクトリア朝上流社会のメンタリティの限界におさまっている。

齊藤磯雄はplaisirを「逸楽」と訳す。

たとえば、ボードレールが猫のしなやかな体をもてあそぶのは「逸楽」なのだ。

Et que ma main s'enivre du plaisir
De palper ton corps électrique,

直訳すると、「私の手がお前の電気の体を触る歓びに酔いしれる・・」で、齊藤訳は


「稲妻を孕める肉軆(からだ)もてあそぶ、その逸楽に、
掌(てのひら)も酔(ゑ)ひ癡るる時、」

となる。

猫を愛撫する時の感覚は、私にとってはそれこそ欲望充足の五感の快楽って感じでvoluptéに近いんだけれど…

齊藤さんに聞いてみたかった。

こう考えてくると、「volupté」をアートにするのには、絵画よりも言葉の方が向いているのかもしれない。
by mariastella | 2013-11-12 02:41 | フランス語
<< リチャード・フライシャーの『バ... シリアの巨大キリスト像 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/

by mariastella
以前の記事
2024年 03月
2024年 02月
2024年 01月
2023年 12月
2023年 11月
2023年 10月
2023年 09月
2023年 08月
2023年 07月
2023年 06月
2023年 05月
2023年 04月
2023年 03月
2023年 02月
2023年 01月
2022年 12月
2022年 11月
2022年 10月
2022年 09月
2022年 08月
2022年 07月
2022年 06月
2022年 05月
2022年 04月
2022年 03月
2022年 02月
2022年 01月
2021年 12月
2021年 11月
2021年 10月
2021年 09月
2021年 08月
2021年 07月
2021年 06月
2021年 05月
2021年 04月
2021年 03月
2021年 02月
2021年 01月
2020年 12月
2020年 11月
2020年 10月
2020年 09月
2020年 08月
2020年 07月
2020年 06月
2020年 05月
2020年 04月
2020年 03月
2020年 02月
2020年 01月
2019年 12月
2019年 11月
2019年 10月
2019年 09月
2019年 08月
2019年 07月
2019年 06月
2019年 05月
2019年 04月
2019年 03月
2019年 02月
2019年 01月
2018年 12月
2018年 11月
2018年 10月
2018年 09月
2018年 08月
2018年 07月
2018年 06月
2018年 05月
2018年 04月
2018年 03月
2018年 02月
2018年 01月
2017年 12月
2017年 11月
2017年 10月
2017年 09月
2017年 08月
2017年 07月
2017年 06月
2017年 05月
2017年 04月
2017年 03月
2017年 02月
2017年 01月
2016年 12月
2016年 11月
2016年 10月
2016年 09月
2016年 08月
2016年 07月
2016年 06月
2016年 05月
2016年 04月
2016年 03月
2016年 02月
2016年 01月
2015年 12月
2015年 11月
2015年 10月
2015年 09月
2015年 08月
2015年 07月
2015年 06月
2015年 05月
2015年 04月
2015年 03月
2015年 02月
2015年 01月
2014年 12月
2014年 11月
2014年 10月
2014年 09月
2014年 08月
2014年 07月
2014年 06月
2014年 05月
2014年 04月
2014年 03月
2014年 02月
2014年 01月
2013年 12月
2013年 11月
2013年 10月
2013年 09月
2013年 08月
2013年 07月
2013年 06月
2013年 05月
2013年 04月
2013年 03月
2013年 02月
2013年 01月
2012年 12月
2012年 11月
2012年 10月
2012年 09月
2012年 08月
2012年 07月
2012年 06月
2012年 05月
2012年 04月
2012年 03月
2012年 02月
2012年 01月
2011年 12月
2011年 11月
2011年 10月
2011年 09月
2011年 08月
2011年 07月
2011年 06月
2011年 05月
2011年 04月
2011年 03月
2011年 02月
2011年 01月
2010年 12月
2010年 11月
2010年 10月
2010年 09月
2010年 08月
2010年 07月
2010年 06月
2010年 05月
2010年 04月
2010年 03月
2010年 02月
2010年 01月
2009年 12月
2009年 11月
2009年 10月
2009年 09月
2009年 08月
2009年 07月
2009年 06月
2009年 05月
2009年 04月
2009年 03月
2009年 02月
2009年 01月
2008年 12月
2008年 11月
2008年 10月
2008年 09月
2008年 08月
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧