L'art de croire             竹下節子ブログ

ジャン=クロード・ミシェア、マンデラ、ザ・ブック・オブ・モルモンなど

2014年がスタートした。

年末の記事を読んだ方から、では、「それを目指す言説もあちこちに存在する」例を挙げてくれと頼まれた。 

私のお勧めはジャン=クロード・ミシェアだけれど、日本語訳は出ていないと思う。

フランス語が分かる人には、すごく分かりやすいインタビューがyoutubeにアップされているのでそれをぜひどうぞ。
その画面の右に出る関連リンクの中にはラジオでのインタビューが出てくる。これもなかなかおもしろい。「オルフェウス・コンプレックス」という最近の本に関したものだ。

進歩主義、成長主義は、「後ろを振り返るな」と言われたオルフェウスと同じだという話だ。

まあそれは今のフランスにはあたっているが、復古的な日本の安倍政権などとは少し違うのかな。

と言っても、安倍首相もオランドといっしょになって、原発の技術の進化を口にして他国に売り込む姿勢を堂々と見せて、福島で起きたことや今も起きていることは振り返らないし見ないようにしている点では立派なオルフェウス・コンプレックスかもしれない。

自分の都合のよい過去だけを振り返っているのだからただのご都合主義かもしれないが。

ミシェアのインタビューの中に、冷戦時代の東ドイツの家電は壊れなかったというのがある。ベルリンの壁が崩壊して真っ先に西ドイツがしたのはその工場に行って、特許を全て無効にして、自分たちのメーカーの工場に変えたことだという(共産圏の製品は自由圏の製品に比べて列悪だという刷り込みがあったので意外だった)。

もっともドイツは東西ドイツの統合の象徴として世界に誇れるブランドを創出しようと決めて、東ドイツの片隅に昔からあった手作りの機械時計メーカーを復興させて、あっという間に非デジタルの最高級ブランド(ランゲ&ゾーネ)を世界中に認知させた国でもあるから、戦略は複合的で奥深い。

「経済成長」すなわち資本の蓄積と利益の追求に必要なのは、需要を作り出すことだから、そのためにも、すべての家電や電子機器は、買い換えのために壊れるように設定されている。いわば賞味期限が設定されているわけだ。

電球も、19世紀末にはすでに「切れない電球」というのが開発されていてカリフォルニアでずっと灯っていたという。それなのに、私たちは簡単に切れる電球をずっと買わされていた。

いや今でも、これを書いているPCにしても、すぐ調子が悪くなったり、モデルがしょっちゅう変わって私には要らない機能が満載されていたり、前のデータが使えなくなったり、それでも絶対必需品であるので、「買い替える」以外の選択の余地がならないのはうんざりする。

私たちが市場経済の一部の支配者の利益増大のために消費活動を無理やり方向づけられているのは自明だ。成長戦略とかいっても、その「戦略」とは誰が誰に対して戦っている「戦争」の戦略なのか、一人一人の身には何がかえってくるのか、頭を冷やして考えたい。

第一、単純に日本のイメージ回復のために成長戦略がどうとか言っているが、世界を見ると、本当に巧妙な権力者たちはもっとうまく立ち回っている。

最近うんざりしたのはネルソン・マンデラの埋葬に先立つ記念式典だった。私は最初から最後まで中継を見ていたが、いわゆる西洋諸国が繰り広げた茶番劇には憤りも感じたけれど、まあ想定内ではあった。

というか、マンデラのようにすでに実際の権力がなくただ都合のいいシンボルであって、しかも、もう去年の夏からずっと、ほとんど政治的に生かされているような臨終状態にあった人の場合、過去の宗主国らはもちろん現在も南アに深い利害関係を持つ企業グループと、彼らとつるんだ先進諸国政府には、マンデラの葬儀をいかに有効に利用するかについて策を練るための充分過ぎる時間が与えられた。

父親がアフリカ出身というのを最大限利用するオバマ大統領はもちろん、アパルトヘイトの撤廃後に和解だの赦しだのを掲げて内戦を避けたマンデラを称揚することで、共和党と民主党の元大統領たちがなかよくそろって出席したり、オバマがキューバのラウル・カストロと握手したり、フランスからは犬猿の仲のオランド大統領とサルコジ前大統領がとなりの席に並んで座ったり、みな、さぞやこの日のために計算していただろうと思える弔問外交ぶりであった。

みんなこの日だけは天使のようにマンデラの使徒として「平和」を誓うふりをして、実際は農地改革さえされず、世界でも有数の格差社会となり、アパルトヘイト時代の多国籍企業の利権が保証されたままでマンデラの後に続く黒人指導者たちが「白人化」したのと変わらないような南アの現状は不問に付される。

そんな茶番劇が堂々と展開されたので、自国が大変なことになっているジンバブエのムガベ大統領さえ、南アの黒人たちからは盛大に拍手されていた(そして自国の大統領にはブーイング。まあ、そういう意思表示ができるだけでも、北朝鮮などとは違う民主国家になった証拠だからめでたいことだけれど)。

でも、日本はどうだろう。同じような準備時間が与えられていたにも関わらず弔問外交をしようなどという気ははなからなかったようなのは見えている。
皇太子殿下が出席したというのを読んだけれど、その人選は政治音痴としか思えない。

シンボルとしてのマンデラの「使い道」というのは、人種差別というのが「悪」であると世界に認めさせ、しかし差別されていた有色人種が白色人種の過ちを赦して和解したという美談の部分だ。

アパルトヘイト下の南アで「名誉白人」あつかいされていたか何か知らないが、有色人種の国である日本、そして、韓国だの中国だのから「過去の侵略」「過去の罪」についてしつこく糾弾されて困っている日本だからこそ、マンデラの弔問外交はいくらなんでももう少しうまく使えたんじゃないかと思う。

「赦し」や「和解」が称揚されるあの席でなら、うまいコメントや握手だののパフォーマンスも工夫できただろう。

アメリカがネルソン・マンデラをテロリストのブラック・リストから公式に外したのは2008年だ。そんなことを思う時、ブロードウェイのミュージカルでトニー賞を獲得した『The Book of Mormon』 にまで思いが飛ぶ。モルモン教の信者たちはふたりひと組で世界中に布教に行くのだが、ウガンダに派遣された若い白人の主人公は、アフリカと言えば「ライオン・キング」のことしか思い浮かばなかった。

その主人公が「私は信じる」と高らかに歌い上げるモルモン教賛歌の中に、

「1987年、神は考えを変えられた」

というのがある。

これは、1987年になってやっと、モルモン教は黒人にも神の恵みが平等にあることを認めたということを指している。

1987年だよ。

2012年の大統領選に共和党から出馬したミット・ロムニーも、若い頃布教活動に派遣されたが、行先はアフリカではなくパリとボルドーだった。金があると場所を選べるのかもしれない。それとも1987年以前のその頃はブラック・アフリカの黒人は布教対象外だったのだろうか。

で、そんなモルモン教(末日聖徒イエス・キリスト教会)のミット・ロムニーが、伝統的なWASPご用達のような共和党の支持を得た。モルモン教を揶揄したこのミュージカルについてモルモン教からは何のクレームもなかったそうで、動画を見ても、WASPのブルジョワっぽい人たちが客席から惜しみなく拍手しているのが映っている。
この人たちは民主党なのか?
いや、モルモン教ではないWASPの共和党支持者たちじゃないかなあという気がする。

ロムニーを党の候補者として立てたことへの心理的バランスをとるためにもこのミュージカルの成功は必要だったのではないだろうか。

アメリカのような国では、権力のある人々は、自分たちがいかに信仰篤く、しかも同時にいかに寛容であるかについて常にパフォーマンスをしなくてはならない。

そういういろいろな欺瞞にはほとんど感心させられるのだけれど、それにつけても、日本の政治家にはそういう対外パフォーマンスのブレーンがいないのだろうか。

マンデラはANCのメンバーとしては無神論者だった。でも国歌にはちゃんと「南アに神の祝福を」と入れているし、オバマもちゃんとその言葉でスピーチを結べたし、同じノーベル平和賞を授けられたデズモンド・ツツはロンドン大学で神学を学んだ英国国教会のケープタウン元大主教の黒人で、彼とマンデラの協力は「和解」への道のシンボリックな力になった。

記念式典では、ツツはもちろん、他の一神教の代表や移民の多いインド人と共にやってきたヒンズー教の聖職者まで祈りを捧げた。

まあこのようないろいろな演出に関わらず、前述したように現職のズマ大統領はブーイングされたわけだが、ともかく、マンデラというシンボルの死をそれぞれがそれぞれの思惑で時間をかけて利用しようとしたのはよく分かる。
分かりやすいくらいだ。

それはあさましい感じがするのだけれど、日本のような国が周到に準備すればもう少し上品に何かをアピールできたのではないかとも思う。ここまで外交の策が欠如しているのはひょっとして無策が方針なのだろうか、と疑いたくなる。

なんだかまとまりのない話になったが、2014年もよろしくお願いします。(4月の中下旬には日本で、10月下旬にはラモーを中心にしたコンサートを少し企画しています。)

PS: 未だに旧サイト(消すことをあきらめました。手を加えることもできません)経由でこのブログへ来る方がいらっしゃるのでもう一度現在のサイトをリンクしておきます。
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by mariastella | 2014-01-02 03:16 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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