L'art de croire             竹下節子ブログ

太平洋戦争のことなど

大晦日と元日だけ「バカンス」ということに決めたので、日本語の本を2冊読んだ。

一冊は

『細胞が自分を食べる‐オートファジーの謎』(水島昇/PHPサイエンス・ワールド新書)

で、予想通り感動的だった。宗教神秘家が何十年にもわたる断食をして生きるケースの謎のことを頭の隅でずっと考えているので、そこにも少し光があたった気がする。
しかし、これほど劇的な現象が生きた人間においては直接に観察することができないというのだから、神秘の部分は残る。

それにしても、生存のためにこれだけのシステムをずっと維持していくのは大変だとあらためて思い、経年劣化や病や死は当然だなあなどと納得する。

もう一冊は『永遠の0』(百田 尚樹/講談社文庫)だ。

あちこちで感想が書かれているので、内容はなんだか読む前に予想がつくほどだった。でもこの本が今の時代にこれだけ売れているというのは悪くないと思う。

私は戦記ものはほとんど興味がないので、ゼロ戦がヨーロッパ戦などとは違って太平洋での戦いのために飛行距離や時間が長く作られていたこと、しかし、どんなに機械の性能が優れていても、それを操る人間の気力体力には限界があるから、そのゼロ戦に乗せられた人を酷使する結果になった皮肉などを興味深く読んだ。

それでも超人的な飛行士がいて空で戦いを繰り広げるシーンは、いわゆる地上の肉弾戦などと違うから、距離感が保てる分痛快なものがある。
こういう戦争描写を読んだのは『坂の上の雲』以来で、『坂の上の雲』を延々と読んでいた時は寝ても軍艦に乗っている夢を見てしまったのを覚えている。

また、昔、台湾に行った時に、台湾が親日的なのは、海軍が仕切っていたからで、陸軍とは違って海軍は公正で礼儀正しく、敬意をはらわれていた、ということを聞いたので、『坂の上の雲』の影響もあって私の中には海軍のプロフェッショナリズムがなんとなく美化されていた。

ところがこの『永遠の0』を読むと、上層部の官僚気質やエリート同士のなれあいなどが告発されているので、どこもみな同じなのかと幻想が消えた。

第二次大戦ものといえば、フランスではしょっちゅう反芻されているが、それはもちろんヨーロッパ戦線の話で、今やそちらの方が私には身近に感じられるくらいだ。今はもう亡くなった年配の親しい人が近くにかなりいたので、実際にいろいろな体験談を聞く機会もあった。日本とフランスがインドシナでのわずかな期間をのぞいてほとんど戦争をしていないこともあるから互いに話しやすかったと思う。アメリカ軍の爆撃で死んだ親戚のいる知人は少なくなかったが、日本人に殺されたという人はいないからだ。

日本にいた頃も、昔触れたものとしては、ナチスのホロコーストものとかノルマンディ上陸作戦だとかの方がむしろなじみがあった気がする。

原爆投下にまつわる物語や東京大空襲や沖縄の悲劇や、東京裁判や、引揚者の苦労、収容所、残留孤児、慰安婦問題や靖国問題などについてはもちろんいろいろ読んだことがあるけれど、いわゆる「太平洋戦争」の「実戦部分」についてはほとんど何も知らなかった。

それでも私の小学生時代はまだ戦争のテーマのマンガが身近にあった。

少年月刊誌をほぼすべて貸し本で読んでいたので、ゼロ戦と言えば少年画報の『0戦太郎』とか、少年クラブの『ロボット三等兵』などは絵柄もストーリーも覚えているくらいで、私の0戦のイメージは実はその時のままだ。

中学になると太平洋戦争の描写のインプットは島尾敏雄や大岡昇平、彼らの一連の戦争ものからだけだったと思う。マンガでは後に水木しげるの戦争体験ものを読んだけれど、太平洋戦争について全体的なビジョンなど構築しておこうとなど思ったことがなかった。

私の世代の子供時代は戦後民主主義教育の高揚期と言われるけれど、第二次大戦では日本が一方的に侵略したとかアメリカ万歳みたいな刷り込みは全然なかった。

母は戦後10年以上経ってようやく空襲の悪夢を見なくなったと言っていたし、父は中国の戦地に行っていたので(実戦には参加しなかった)、自分たちが幸運な時代に生まれたという自覚だけはいつもあった。

昔、両親といっしょにノルマンディーから船でジャージー島に観光に渡った時、波が高くて往きの船が揺れてひどい船酔いをしたことがある。もともと乗り物に弱い母はもちろん、ふだん乗り物酔いをしない私も、とにかく吐き続けて苦しかった。船員以外は周りの人ほぼ全員が同じ状態だった。

それなのに、父だけは平気だった。

後から聞くと、船の揺れに合わせて体をゆするといいのだそうだ。そして、中国へ渡った時の船の揺れの苦しさに比べたらこういうのは何でもない、戦争中は、船が揺れるだけではなく、いつ爆撃されたり魚雷にやられたりするのか分からなかった、と言った。

その時に、なるほど、今回はすごく苦しかったけれど、少なくとも、敵が現れて攻撃してくるということはあり得ないからなあ、大したことはないなあ、と妙に納得した。
前線に出ることがなかった父も、ただ、船に乗るだけで、死と隣り合わせにいたのだと実感を得た記憶がある。

このようなことをいろいろ想起させてくれたという点で、この読書は意味があった。

何か新しい視点が生まれてくるかもしれない。

でも、ネットを見たら、今ちょうど映画が公開されているようで、この種の本は映像化すると別の効果が出るからなあ、と気になった。
大晦日に映画をみた安倍首相が感極まっていたともあり、しかもこの著者の百田さんって、なんと安倍首相と共著まで出しているそうだ・・・かなり複雑な気がしてきた。
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by mariastella | 2014-01-03 03:17 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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