L'art de croire             竹下節子ブログ

ヨーロッパの20世紀は75年しかなかった  その3

第三共和政は1880年代以来カトリック教会に対して徹底的な反教権主義を貫いてきた。

フランスは無神論イデオロギーと伝統的なカトリック・メンタリティの二つに分断されていた。

第一次大戦の勃発はこの二つの陣営を結びつける必要があった。

レイモン・ポワンカレは「聖なる統一」が必要だと語った。

「和解しなくてはならない」。

カトリック修道会を弾圧していたすべての法律がまたたくまに停止された。

カトリック側の人々も、この呼びかけに模範的な態度で応えた。

共和国の危機の前で敵だと見られたくはなかった。

12年前に追放されていた修道会の男たちは駆け戻って次々と入隊した。

1914年8月、ドイツ軍はパリから25kmに迫っていた。

「正義の戦い」を掲げた神秘家シャルル・ペギーは9月5日、マルヌの戦いで斃れた。軍はカトリックの行列を許可した。

戦局が有利に傾いたのは9月8日の戦いだった。
聖母マリア誕生の祝日だ。

それは聖母の加護による奇蹟だと人々は信じた。

ポール・クローデルは

「この戦いは、左に(聖女)ジュヌヴィエーヴ(パリの守護聖女)が、右にジャンヌ(・ダルク)が我らと共に戦った」

と感激の言葉を口にした。

反教権主義者たちからそれまで社会の寄生虫の如く罵倒されていた司祭たちは塹壕の守護天使に変身した。

1889年には「リュックを背負った司祭」の徴兵が法律化された。

大戦の間3万人の司祭が敵の血を流さないために衛生班として塹壕に入り、泥と砲火の中で命をかけて傷病兵を救い、世話し、励まし、慰めた。

いわゆる従軍司祭たちは出撃前の兵士を祝福し、弾のとびかう中で聖体を授けた。従軍司祭の10人に1人は自らも砲火の犠牲になった。

カトリックがこのように共和国主義者側と一体化したのは、ひとつには、「聖なる統一」の言葉が示すように、祖国を聖なるものとするイデオロギーが共有されたからである。

「汎ゲルマン主義と戦うことはキリスト教の自由と秩序という霊的な価値のために戦うことと同義である」と彼ら自身が考えた。

獰猛な獣のようなドイツ人はもはや人間ではない、と彼らは言い、ヴェルダンの司教は「愛国主義が他のすべての感情に優先すべきである」と語った。(続く)
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by mariastella | 2014-01-07 07:57 | 宗教
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