L'art de croire             竹下節子ブログ

人間、サル、ネコ

大航海時代にヨーロッパ人が新大陸を「発見」したり、アフリカでのフィールドワークを始めたりした時に、サルとの出会いがあった。オランウータンのように、その時の彼らから見ても高度な知性を持っている類人猿との出会いもあった。

同時に、インディオ、アメリインディアンとの出会いもあり、彼らが「働かない」ので、西アフリカから黒人奴隷を労働力として調達し始めた。ヨーロッパで調達できる白人労働力の農奴はマラリアその他への抵抗力が弱かったからということもある。

アジアで白人が「労働力となる家畜」として感激したのは「象」との出会いだった。

サルとの出会いは別の意味で衝撃的だった。サルが解剖学的にあまりにも人間と似ていたからだ。メス猿に欲情を感じる者もいた。

ここが日本と違うところだ。

日本はいわゆる西洋風の「文明国」の中で、唯一「野生の猿」が生息する国で、今でも霊長類の研究のレベルが高いことで知られている。
サルと人間の違いや共通点も昔から観察されていたし、猿回しのような一定の「使い道」も知られていた。
それはもともとインドや中国経由だったのだろうが、サルを「研究対象」として観察するという「西洋的発想」が起きた時に、すでに日本ではサルは身近な存在だったという事実があるわけだ。

で、ともかく、ヨーロッパ人の植民地において、サルは人間に従わず、人間の役に立たなかった。

白人が「非白人」の社会を侵略していく過程での「差別」の形成とサルとの出会いとは微妙に相関している。

せっかく金を出して買って連れてきた黒人奴隷が労働を拒否して集団で逃亡して山の中で「獣のように暮らした」というカリブの記録がある。

(わざわざスペインから連れていた犬や猫の家畜まで植民地で野生化したという記録もある。)

逆に、それなら、人間の奴隷の代わりに働くサルはいないかと本気で検討されたこともある。サルは、働くロボット、2級人間として使えるのではないかという発想だ。

しかし働くサルを見つけることはできなかった。

サルは怠け者だが、「遊ぶ」ことはできた。

遊ぶが生産はしない、というのは「子供」である。

サルが擬人化されるのと働かない非白人の擬「猿」化はパラレルに起こった。

気候の問題もある。

必死で農耕しなくては生き延びられない寒冷地の人間と、バナナが木から落ちてくる熱帯の人間では暮らし方が違う。

しかも、熱帯や亜熱帯では、裸に近い恰好で暮らせる。

これも寒冷地から来る者にとっては「だらしない」とか「動物に近い」という印象を与える。さらに熱帯や亜熱帯の人間は肌の色が濃い。

ヨーロッパ人の中にはこれらの観察から、エチオピア人の祖先はサルだと考えた者もいた(Vanini 1616など)。

ある意味でダーウィニズムに200年も先行していたわけだ。

当時の年代記作者も(Oviedo1535)、インディオたちは働かず、怠け者で、うそつきで、偶像崇拝をしていると書いている。そして、死亡率が高い。働かないので生きるモティヴェーションがなく、自殺もあり、中毒死も多い。

このことを彼らは、「怠惰」はキリスト教の7つの大罪の一つだから、彼らが自滅するのは当然の報いだと考えたのである。

これはすごい発想だ。

ヨーロッパから来た侵略者たちは、

「アメリインディアンやインディオが見た目が白人じゃなくて文化も違って偶像崇拝の未開人だから人間じゃなくて、魂がなくて、だからキリスト教の救いに値しなくて、いくらでも虐殺していい」、

と思ったんだろう、野蛮なやつらめ、と私たちは単純に考えがちだが、実は、「怠け者」認定が大きなウェイトを占めていたらしい。

そういえば、フランシスコ・ザビエルもルイス・フロイスら、同時期に日本に来たイエズス会宣教師らは、日本人を勤勉で向上心に富むと報告している。識字率も高かった。

「怠け者」認定されなかったわけだ。

7つの大罪は「怠惰」の他に、傲慢、貪欲、嫉妬、憤怒、暴飲暴食、好色がある。
(ちなみにサルは、怠惰だが生殖行動にはやけに熱心であることが観察されていた。奴隷として到底不適格である)

日本人は、キリスト教じゃないから即「偶像崇拝」認定を受けてしまってはいたが、支配層は儒教的モラルに縛られていたこともあるし、怠惰も含めて個人の勝手を許さない統制のとれた社会だから、「死に至る罪」の状態にはなかったわけだ。

後はキリスト教に改宗しさえすればOK。

進取の気風もあって実際少なからぬ有力者たちが当時は「改宗」したし、日本は植民地化もされなかったし、大量虐殺もされなかった。

よかったね。

サルと共生していたが、サル認定もされなかったわけだし。

かくいう私はかなりの怠け者で、それでも自滅せずに、というか怠け者であることでかろうじてサバイバルしているような人間だ。「サル認定」されると怖いが、「怠惰」のウェイトが大きいと他の6つの罪に至るエネルギーも実はあまり残っていない。

と、植民地や人種差別のことを書いてきた。

今でもサッカーの試合で黒人選手をサルの鳴き声でやじる敵のサポーターが弾劾されたり、現フランス政権の黒人女性法務大臣の顔をサルの写真と並べた極右メディアが弾劾されたりしている。

人種差別の底に潜在的に流れる「サル=2級人間」のイメージは健在ということだろう。

でもすぐに弾劾されひっこめることで、そのルーツにもともとあった歪みが正せていないような気もする。

と、これを書いているそばで、ネコたちが遊んで物をおとしまくった。

騒いでいない時はひたすら寝ている。

もちろんネズミなんてとらない。

服は着ていないし、人間とは思えない「異形」の姿だ。

で、超かわいい。

ネコをかわいいと思えることで、心の中に他者の「怠惰」を許容する場所ができる。

許容や共存がそのまま「愛」に支えられている関係(しかも見返りは求めない)を実感できるのは、精神衛生にいい。

参考文献
怠惰の権利? – ルネサンスにおける人類の単一性、働く動物と怠惰な民族
Grégoire Holtz / Cahiers Saulnier 31 PUPS 2014
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by mariastella | 2014-03-16 03:15 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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