L'art de croire             竹下節子ブログ

「ノルマンディ上陸作戦」70周年記念

6/6は「ノルマンディ上陸作戦」の70周年記念で22ヶ国の元首が集まる予定だ。

作戦に参加した軍人の生存者は1800人というが、当時王女だったエリザベス女王も軍で働いていたのだから、今回の女王の出席はさらにシンボリックな意味がある。

そして今ウクライナがらみでかなりの緊張関係にあるプーチン大統領とオバマ大統領も顔を合わせるし、当時のヒールで敗者でもあるドイツのメルケルは今やヨーロッパ経済を牽引する存在だし、70年も経つと、パワー・バランスはあらゆる面で変わっている。

でも、こういう「場」を共有するということは、たとえそれがどんなに政治的であろうとも、「平和の理念」の確認という名目を掲げること自体に潜在的な意味がある。

さまざまな歴史的葛藤を経てきた多くの国が「平和に集まる」ということはそこにコミュニケーションやインターアクションができることで、「共に生きる」チャンスを増大させるはずだ。

このことに関して、第一次大戦のヴェルサイユ条約を破綻させた連合軍の反省がある。

「平和」といっても、「悪を征伐する、排除する、屈辱を与える」などという形で勝者が一方的に押しつけるものは、本物ではなかった。ルサンチマンを生んで、結局20年も続かなかったことへの反省だ。

第二次大戦の後は、フランスは早々とドイツに手を差し伸べて今のEUの母体をつくった。
しかしそれは、何もただ優等生的に「敵を赦した」わけではない。

英米への牽制だった。

ノルマンディ上陸作戦は確かにとてつもない大規模な作戦だった。それが第二次大戦の終結を導いたのも疑いはない。

しかし、作戦は、基本的に英米のものだった。

フランスはまったく関係がない。

自由フランスのド・ゴールは蚊帳の外で数に入れてもらえなかった。

でも、戦場はフランスで、それまで比較的戦禍の及ばなかったノルマンディを火の海にした。英米軍の死者の墓はほぼ巡礼地になっている。
しかし犠牲者には、戦いの当事者である英米独の「軍人」以外に、連合軍の爆撃で死んだ多くの一般のフランス人がいる。彼らは「戦争の犠牲者」だが、その位置づけは曖昧だ。

上陸後3カ月も続いた戦乱で、連合軍の死者3万7千人、ドイツ軍8万人、そして市民が1万3700人と言われる。

それでもフランスはもちろん文句を言わず、第二次大戦の終結においては、ド・ゴールはしっかりと自由フランスを連合軍の中に位置づけてフランスを「戦勝国」にしている。

それでもフランスは「悪夢」のノルマンディ上陸作戦を「記念日」にするつもりはなかった。
1945年5月の終戦後の後のDデイは、フランス主導で犠牲者追悼があった。

50年代は、Dデイ記念日の主役は主として当時のアメリカの将軍たちなどだった。

生々しい悪夢が記念日になるには20年かかった。

1964年のDデイ20周年に、はじめて外交的なセレモニーが行われたけれど、ド・ゴール大統領は参加を拒否した。
あれは英米の作戦であり、フランスのものではないといい

「フランスは外国の軍事作戦を祝わない」
La France ne célèbre pas une opération militaire étrangère

との言葉を残した。

チャーチルやルーズベルトに相談されなかったのを根に持っていたのだ。

ある意味すごい。

ここでただそっぽを向いているわけではなくて、ドイツと共に着々と英独抜きのヨーロッパを形成しようとしたのだから。

フランス国内のノルマンディで英米が主導で毎年お祭り騒ぎをすることを止めることはできない。

少しずつ、戦争の生々しい記憶や興奮が鎮まるのを待ち、EUの基盤が固まるのを待っていたのかもしれない。

1978年にはじめてジスカール・デスタン大統領がカーター大統領と共にオマハ・ビーチに立った。

1984年の40周年記念には7人の元首が出席した。社会党のミッテラン大統領はクリントンやエリザベス女王と共に出席した。

同じ年の9月、ミッテランは第一次大戦始まりの70周年に激戦地ヴェルダンで、西ドイツのコール首相と手をつなぐというパフォーマンスをした。

1994年の50周年には15ヶ国が参加した。

2004年の60周年は、冷戦の終わった21世紀の始まりとドイツの再統合の成功を象徴すかようにロシアのプーチン大統領が「連合国」側として出席し、シラク大統領とシュレーダー首相が派手に肩を抱き合って、ヨーロッパの結束を印象づけた。

新世紀に入るともう当時の作戦の主導者はいなくなっているから、政治や外交のショーとして再構成されたともいえる。
2001年のアメリカの同時多発テロを経た世界で「イスラム過激派」が「自由諸国」の共通の敵に据えられたこともある。欧米諸国間や今やロシア正教を復活させたロシアとの「和解」を印象づける必要もある。

そしてこの歴史の文脈の中では、いくら経済的躍進が華々しくても、イスラム諸国や新興諸国やアジア・アフリカ諸国は堂々とサークル外に遠ざけられる。敗戦国でヨーロッパの国でもないような日本などはもちろん関係ない。

なんだか巧みに洗練された、伝統的なキリスト教圏の社交クラブにも見えてくる。

まあだからこそ、ウクライナ危機のせいでたとえG8から排除されてもプーチンが社交クラブの席に着くわけだから、その意義は少なくないと期待したい。

(蛇足。私はプーチンの登場をずっとフランスで見たり聞いたりしてきたので、字面はPoutineだし発音も「プーチヌ」に近い感じでインプットされている。だからカタカナのプーチンの字面や音を見たり聞いたりするといつも、「どこのユルキャラですか」、という印象を受ける。それで「プーチンって名前はかわいいのにコワモテだねー、名前と全然合ってないねー」と日本人に言うとすごく面白がられるのだけれど、人間なんでも慣れてしまうと違和感がないのだろうな。日本の「アベ」だって、フランス語の語感からいうととっても高級(高位聖職者)なイメージだしね。)
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by mariastella | 2014-06-01 22:37 | フランス
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