L'art de croire             竹下節子ブログ

ヴェルレーヌの『落葉』 Chanson d'automne

(この記事は前回の記事とあわせてどうぞ。)

秋の日の / ヰ゛オロンの

ためいきの / ひたぶるに

身にしみて / うら悲し。

上田敏『海潮音』の『落葉』ヴェルレーヌの出だしのこの日本語は私の「日本語原風景」の一角をずっと占め続けている。

6/6ノルマンディ上陸作戦の70周年記念日の昨日はテレビで何度かこの一節がとつとつと(もちろんフランス語でだけれど)流れた。

1944/6/5の午後9時25分、ラジオ・ロンドンからフランスのレジスタンス運動の人たちに、上陸が近いことを知らせる暗号文だった(ナチスにも解読されてそれが激戦の一因とも言われる)。

自由フランスのド・ゴールはチャーチルやルーズベルトから仲間に入れてもらえなかったけれど、全軍の0.1%程、200人にも満たないフランス兵がイギリス部隊と一緒に上陸作戦に加わっている。

第二次大戦の奇襲作戦の暗号電文というとつい勇ましい「ニイタカヤマノボレ」とか「トラトラトラ」を連想してしまうので、このヴェルレーヌの暗号文のもの悲しさを前にすると、この上陸作戦によって多くの非武装同胞市民を失うことになる諦念のようなものすら感じてしまう。

70年目の昨日、ようやく、彼ら非武装市民の犠牲者の追悼も公式に行われた。

人気のないオランド大統領だが、この行事を国家行事にして、プーチンやオバマやウクライナ新大統領までそろえて見せたのだから、フランスにとっては、外交の腕の見せ所になって大成果だった。

それでも、たとえば一万人を超すGIが眠るアメリカ兵の墓地は「アメリカ領」であるので、そこでのセレモニーではオバマ大統領がオランド大統領を「招く」という形がとられるなど、プロトコルは複雑でちょっとした外交ショーである。

オランドを中心にエリザベス女王とデンマーク女王を配して、そのわきにオバマとプーチンを並べ、でも前方巨大スクリーンにオバマとプーチンを横並びにアップして2人が思わず互いの方に視線をやるシーンもあった。

エリザベス女王の服の色合いがフランスのトリコロール(フランス空軍が赤白青の航跡を空に描いて見せた)に取り込まれないように明るい緑色だったのも目立った。

それでもとにかく、ちょうどウクライナ危機の今、このメンバーをそろえたことの意義は大きい。

アメリカにとってロシアとの貿易は1%(2012)に過ぎないが、EUにとってロシアは3番目の貿易相手国だし、プーチンも「リスボンからウラジオストックまでがヨーロッパ」と考えれば自立してアメリカや中国に対抗できる、と一時は言っていたくらいだから、ウクライナをEUと取り合うよりは「架け橋」にした方が世界平和のために絶対にいい。

15年前にアメリカがポーランド、ハンガリー、チェコをさっさとNATOに組み入れて、その 5年後にはさらに7ヶ国など、東ヨーロッパをロシアの仮想敵のように編成したのがそもそも挑発的だったと思う。

オバマはノルマンディに行く前にしっかりとポーランドに立ち寄って、米軍はもう駐留する予算はないから撤退することになるけれど、ポーランド軍への軍事資金援助は続ける、と安心(?)させていた。(これが日本の場合なら、米軍基地の費用も日本もちで、撤退して日本が自衛軍備をしても資金援助どころではなく持ち出させるのだろうなあ、とか考えてしまう。)

そして2日おいた6/8は「聖霊降臨祭」なのだが、この日に、5月末にはじめてパレスティナ、イスラエルを公式訪問した際にローマ教皇フランシスコがアレンジした招待を受けて、ヴァティカンにイスラエルのシモン・ペレス大統領とパレスティナのアッバス議長がやってきて三者共に平和のセレモニーに出席する。(追加:ギリシャ正教の主教もやってきて、カトリック教会は全世界のカトリック教会に同時に祈ることを依頼した)

4月末、アッバスがハマスと共に署名したパレスティナの和平案をネタニヤフ首相は拒絶している。

ペレスがヴァティカンでアッバスと出会っても、状況が変わるわけではないけれど、シンボリックな意味は大きい。

キリスト教は、ユダヤ教から派生し、イスラムはその後でユダヤ人アブラハムの別の子孫の系統から生まれた。

真ん中に位置するキリスト教の最大宗派で、しかも、経済や軍事のテリトリーを有しないヴァティカンに拠点を持つフランシスコ教皇がキリスト教の揺籃の地であるパレスティナの平和のために「座を設ける」のは悪くない。

ノルマンディであれ、ヴァティカンであれ、歴史の波に洗われても、今ここでの対話と平和を促すシンボリックな場所にシンボリックな意味をもたせて「座を設ける」外交技術が展開されているのを見ると、少し希望が湧いてくる。

それにつけても、「一神教同士は不寛容で戦争ばかりしている」などといい加減な批判を口にする日本では、近隣諸国との対話や平和のために「座を設ける」努力よりも軍事路線強化ばかりが目立つのは何とかならないのだろうか。

キリスト教のイエス・キリストはローマ総督から死刑を宣告されて執行されたのに今はローマ・カトリックがアルゼンティン人の教皇の音頭で平和を唱えているのだし、英米カナダとドイツ軍が死闘を繰り広げて大勢のフランス人犠牲者も出したノルマンディでは欧米とロシアが集まって平和を唱えている。

対話と共生の意志さえあれば、東アジアの平和のためにも、軍事とは別のいろいろな試みが可能だと思いたい。

(追加あり)
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by mariastella | 2014-06-07 23:47 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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