L'art de croire             竹下節子ブログ

リュック・ベッソンの『ルーシー』

観た映画がたまっているけれど記録を残している暇がない。

前に観たのはだんだん記憶が薄れてきた。

最近行ったのはリュック・ベッソンの『ルーシー』。
ひとこと書いとこう。

一応フランス映画だけれど、ベッソンだからアメリカ映画風になっている。それでも舞台が、パリはもちろん台北も行ったことがあるから見ていて何となくリアリティがある。

特殊撮影の技術が進んだもんだなあ、という感慨はあるが、アトラクション・パークの中でやっている映画みたいだ。

時間と空間のスケールは特撮で大きく見せてくれるけれど、実際のストーリーの展開は台北とパリだけでこじんまりしていて、言っていることが大げさなわりにはシナリオは伏線もなくて単純だ。

残りの人生、ヴァイオレントな映像のあるフィクションはできるだけ見るのをやめようと決めていたのに、殺人はもちろん、手術シーンが多かったり、手をぐさりと突き刺したり、血しぶきは飛びまくるし、かなり後悔。

じゃあなんで見に行ったかというと、テレビでベッソンが、モーガン・フリーマンとスカーレット・ヨハンセンがシナリオにほれ込んださまを話していたからだ。特にスカーレット・ヨハンセンの取り組み方はすごかった、と。

で、ヨハンセンは確かにかわいかったけれど、それより印象に残ったのは、なんだか人種のステレオタイプが総花式に出ていることだった。

知性と良心とシンボルみたいな役どころが黒人の老人フリーマン。

超能力を得るヒロインが金髪の若い女ヨハンセン(名前から分かるがデンマーク系。母はポーランド系ユダヤ家庭出身らしい)。

そしてパリで彼女と行動を共にするのがなんだかパリの警察にもいかにもいそうなアラブ系風で、エジプト人のアムール・ワケド。

彼女を最初から最後まで追い回すのが中国マフィアかなんかの集団で、この親分が韓国俳優。

この暴力集団がアジア系というのは本当にこわい。

フン族が攻めてきたときに、ヨーロッパ人はその外観に恐れたという話がある。アジア人の体毛やひげが薄いのは、幼い時に火で焼くからだという流言がとびかったというのだ。

日本で金髪碧眼の西洋人が「鬼」に見えたというのも分かるが、西洋でのっぺりして表情の動きの分からないアジア人が薄気味悪い、こわいというのも分かってきた。

実際、ヨーロッパに住んでいると、例えばガードマンなんかはたいてい大柄な黒人が雇われるのだけれど、そして彼らに比べてアジア人はおとなしそうに見えるのにかかわらず、グループになっていると、なにか別の得体のしれない怖さがあるのが今は分かる。

観光客ではなくて中華街などでの話だ。

もちろんそれはただの偏見なのだけれど、自分がアジア人の私ですら、「ヨーロッパの街の中でつるむアジア人」というステレオタイプの「効果」をキャッチするのだから、こんな映画で、アジア人ギャングみたいなのが一斉に病院だの大学だのに押し寄せてくると、狙いが当たり過ぎて怖い。

アメリカ映画でアメリカ人監督が人種の多様性を出した大作を作れば何となく例の「政治的公正」さに配慮した感じがするのに、ベッソンの配分って、政治的じゃなく商業的でアニメのキャラみたいだ。

ともかくそういう人種の商業的配分が一番印象的だった。

テーマについては「科学的」なそれも「哲学的」なそれもあまり琴線に触れない。

ただ、近頃量子意識学や量子力学における電子の意志論(by 山田廣成さん)にはまっているせいか、エントロピーのたがが外れ気味でいろんなものを見たり感じたりするようになったので(しかし明確ではないのでほぼ何の役にも立たない)、ヒロインが最初の方で体験するような部分は実感として分かる。

人間が脳の10%しか使っていないという神話はMRIなどの画像や、使わないニューロンを自己破壊するシステムが2012年に発見された(つまり90%も使っていなければ脳は委縮することになる)によってとっくに滅びたと思っていたが、映画にはたびたび登場する。CPH4という分子はこの映画のためにつけた名前だ、専門家に聞いて科学的真実と嘘とをうまく配合していろいろ本当らしく見せたとベッソンは言っている。

それよりも、映画の終わりで、フリーマンが人間はルーシーが残してくれた情報を使う準備がまだできていないのでは、と懸念すると、「カオスを作るのは無知であって知識ではないわ」と彼女に答えさせているのが彼の信条らしい。

啓蒙主義的オプティミズムの人だなあ。

すでに人間はカオスを避けるために、手持ちの知識をその都度組織しているのだから、フリーマンがおそれるのは、また別の意味だと思うのだけれど・・・
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by mariastella | 2014-08-16 07:48 | 映画
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