L'art de croire             竹下節子ブログ

『奇跡の人 マリーとマルグリット』(Marie Heurtin マリー・ウルタン)

映画館に行っては絶対見ない映画を機内でいろいろ見てフランスに戻った後、絶対に行きたかった映画を観に行った。

Jean-Pierre Améris ジャン=ピエール・アメリス監督、Isabelle Carréイザベル・カレ主演の『Marie Heurtin マリー・ウルタン』だ。

19世紀末のフランスで、一人の修道女シスター・マルグリットが、修道院経営のラルネイ聾盲学校で、マリー・ウルタン(1885-1921)という生まれながらの盲目聾唖の少女に手話を教えて言葉の世界を与えた実話に基づいた映画だ。

「三重苦」で「野生状態」にある少女を組み伏せながら絶対にあきらめずに、「モノには名前がある」ことを教えることに成功するというテーマはもちろん、ヘレン・ケラーとサリバン先生を思い出させる。

アーサー・ペンの『奇跡の人』(The Miracle Worker)は、私が子供時代に見た映画の中で最も強烈な印象を残したものだった。

アン・バンクロフトやパティ・デュークの演技が壮絶で、今思うと主役はサリバン先生で、全盲聾唖という三重苦の少女に言葉の世界を開いたという奇跡の教育者なわけだが、映画を見た時の年齢がパティ・デュークの方に近かったせいか、「偉人ヘレン・ケラー」というビッグ・ネームのせいか、なんだか、「奇跡の人」とは「奇跡を起こした先生」ではなく「奇跡が起こったヘレン・ケラー」のような感じがしていた。

(追記:誰でもそう思うのか、2015年の日本での公開タイトルは『奇跡の人 マリーとマルグリット』だそうで、2人とも「奇跡」の人というわけだ)


ヘレン・ケラーよりも前の時代に、病気の後遺症ではなく生まれながらのハンディという、より難しそうなケースの教育成功例が先にあったのだと初めて知った。
しかもヘレン・ケラーは家庭教師を雇える家庭の子供だったが、マリー・ウルタンは貧しい村の貧しい家庭の娘で、そのままでは社会から捨てられる精神病院に隔離される将来しかなかったのに、使命感にあふれたシスターに修道院から迎えに来てもらって救われた。

自宅内で家庭教師を迎えることができたヘレン・ケラーと違ってマリーは無理やり環境を変えさせられたわけで、パニックの期間があり最初はむしろ退行したのだけれど、シスターの忍耐により(というより、少なくとも映画では、結核で自分も命が長くないと自覚しているシスターの執念に支えられた「共依存」の坩堝の中で)、共同体生活を送ることができるようになり、さらに言葉も獲得する。

「神が言葉となった」という命題は、神が受肉し人間として語ったキリスト教ならではのもので、マリー・ウルタンが真に人間となるには「言葉」を得る奇跡が必要だったわけである。

日本のような社会では19世紀末に全盲全聾に生まれた子供はいったいどう扱われていたのだろう。

今なら、精密検査もできるし補聴器類も発達しているから全盲全聾のまま10代になる子供というのは少ないのかもしれないが、19 世紀末にはそう珍しくもなかったのかもしれない。実際、マリーの後にも同じような少女が修道院に連れて来られて、マリーもその教育に力を貸したという。そしてその子供たちは必ずしもマリーやヘレン・ケラーのような「野生の少女」ではなく、おとなしいケースもあったらしい。

むしろ、マリーやヘレン・ケラーは、元の知能が高いのに言語が与えられず、そのフラストレーションで暴れまくっていたのかもしれない。こういう場合は、社会の不適格者として隔離されるか、マリーやヘレン・ケラーのようにいい教育者にめぐりあって運よく言葉を与えられると、すばらしい言語能力を発するかのどちらかに明暗が分かれたのだろう。

音も光もない世界に生きながらおとなしく扱いやすい子供たちというのは、その障害と知力の低さが連動しているのかもしれない。

ともかく、モノと手話を対応させるメソードはこのシスター・マルグリットが考案したものだと言われている。ラルネイの聾盲学校は今でも若い視覚障害者や聴覚障害者の教育を続けているそうだ。

この映画には『奇跡の人』に酷似しているシーンがいろいろあるのだけれど、それもそのはずで監督はヘレン・ケラーのファンだが、ヘレン・ケラーを題材にする権利を買うのは高くてあきらめてフランスの例に行き当たったということだ。

ヘレン・ケラーとサリバン先生がいわば密室での二人だけの戦いだったのに、この映画では、他にも聾唖のシスターたちがいて、聾唖の子供たちがいて、シスター・マルグリットも修道院長に従うヒエラルキーがあって、共同生活があって、しかも自分の病気まである。彼女にとってマリーは生命と(言葉を得ることによる)創造と復活の象徴ともなった。だから彼女は「共依存」状態から抜け出せないのだけれど、若いマリーの方がシスターの運命と別れを受け入れて真に新しい出発をする。

シスター役のイザベル・カレはもともと演技派の女優で、迫真の演技だが、マリー役のAriana Rivoire(アリアナ・リヴォワール)がすごい。

彼女は撮影当時18歳の真正の聾唖者で、この映画のために監督が全寮制の聾学校で見出した新人だ。撮影には手話通訳が常時2人ついたという。

パティ・デュークも映画撮影の時16歳で天才少女俳優と言われたけれど、アリアナはまさにそのまま「奇跡の人」だ。

そんな経緯もあって、この映画には、セリフだけではなく音の解説(鳥のさえずり、とか、メランコリックなチェロ音楽とか苦しい息といったもの)までが字幕で出てくる。

映画館には実際、聴覚障害者のグループも、身体障碍の少女なども来ていた。

映画にはチェロの音色がよく似合っていた。
チェロが人の声に近いというのがよくわかる。
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by mariastella | 2014-12-11 00:43 | 映画
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