バルチュスの遺作『少女とマンドリン』を見ようとパリのギャラリーに行った。
世界一の規模のギャラリーと言われるGagosian Gallery(名前からしてアルメニア系?)のパリ支店というか、さすがに立派で、展示が充実していて解説も親切で、それでもギャラリーだから鑑賞は無料だし満足できるはずなのになんだか落ち着かない空間だった。
落ち着かないと言えばバルチュスの作品を前にしても、いつもながら居心地が悪い。
眠り込んだ少女のポラロイドカメラの連作まである。
私は1994年のユリイカの「クロソスキーの世界」で「聖女幻想」という記事を書いたことがある。クロソフスキーはバルチュスの実兄だ。クロソフスキーの描く倒錯的な女性に聖女幻想を重ねることは自然だった。
それなのになぜバルチュスの少女像が居心地悪く感じるのだろうか。
今となっては、彼がユダヤ系であることを否認していたこと、バイロン卿と繋がりがあるとして貴族の称号を名につけてこだわっていたことという話などまで、なんだか気になる。
彼の母親がリルケの最後の愛人だったことは有名だが、バルチュスもリルケの友人になった。
母親の父はプロシャのシナゴーグでラビを助ける助祭をしていた。バルチュスはパリ生まれでカトリックの影響は受けているが、無神論者のグループにもいた。彼の子供時代の宗教帰属は何だったのだろう、とそんなことも今は気になる(少なくとも兄のクロソフスキーはカトリック神学を学んでいるし、ベネディクト会やドミニコ会の修道院でも過ごして修道士を目指したことさえある)。
バルチュスは30歳以上も若い日本女性と結婚していつも和服を着せていたという日常が何度もドキュメンタリーになっているので、そういうこともすっきりしない。
ただ、今回見た
モンテカルヴェロの風景画の連作は気に入った。岩肌の重なりがまるで地下から押し出てきた骨ばった指のようだ。ウェブで画像が見つからないけれどその中で一点、画面自体が岩肌みたいになっているのがあって、ずっと見ていたいと思った。
おもえば、1994年にクロソフスキーについて書いた時は、クロソフスキーもバルチュスも存命だった。二人とも同じ年、2001年に亡くなっている。今は新しい資料も出ているのでいつかこの2人について「汎ヨーロッパ性と表現の自由」というテーマで書いてみる日がくるかもしれない。