L'art de croire             竹下節子ブログ

インド映画『モンスーン・ウェディング(2001)』

インド映画『モンスーン・ウェディング(2001)』を観た。

珍しいインドの女性監督ミーラ・ナイールの映画だ。

21世紀のインドのブルジョワ家庭がいかにグローバル化していてアメリカ化さえしているのがよく分かる。
同時に、家族にまつわる「文化」や伝統がニューデリーの大都市でさえいかにべたな感じで続いているかには驚かされる。

見合いをさせた一人娘(下に弟がいる)の婚約式と結婚式をオーガナイズしてその間中オーストラリアやアメリカなどからも駆けつける大人数の親戚を泊める夫婦。その群像(65人の出演者で監督の親類が動員された)のさばき方がうまい上、ボリウッド的な歌や踊りもある。
一人娘はテレビのキャスターの愛人で結婚直前にまた会いに行くし、独身の従姉(父親を早く亡くした)はアメリカ行きを考えていてその資金を出すという一人の叔父と過去にトラウマを抱えていて、庭に祭礼の舞台をしつらえる業者は屋敷のメイドに恋をするなどいろいろなストーリーが交錯し、「花嫁の父」のを演じるナジルラディン・シャーの心の襞の描き方はすべての人の共感を誘うだろう。

ヴェニス映画祭で金獅子賞を獲っているから日本でもDVDが出ているしコメントも読めると思うが、私が注目したのは、メイドがカトリックに改宗しているらしいことである。

彼女だけが「アリス」という名前だ。

インドではシンガポールのように西洋風の通称を使うことはない。アリスはれっきとしたカトリックの聖女の名前でアリックスともいい、フランスではアデライドとも言う。インドだから英語風にアリスだ。

インドでは16世紀ごろから特にポルトガルの宣教師が現地人のカトリック洗礼を推進した。

宗主国となったイギリスは国教会だし、資本主義的野心はあってもインド人を洗礼しようという野心は少なかったのだろう。

で、日本でも、宣教師は戦略的に有利な大名への宣教と、社会から差別・疎外されていた賤民や病人(修道会がハンセン氏病患者の施設をつくって世話をしたりした)への宣教との二極を大切にした歴史がある。

後者は共同体の外に隔離されて差別されているから「失うものはない」状態で、イエス・キリストを信じるすべての人の救いを約束するキリスト教に惹かれたのは不思議ではない。

インドも同じで、アンタッチャブルと呼ばれる不可触賤民がカーストから脱するためにカトリックに改宗したケースが多いという。

もっとも建前と実際は違って、カトリックの教会や墓地でも、信者のカースト別に席や区画が分けられていたという記録はあるし、カトリック信者の家庭同士の婚活でも「ブラーマンのキリスト教徒」などという条件がつけられていたという記録がある。逆に、カースト差別を排するために取り入れられた下位カースト出身者を優遇する「逆差別」政策が取り入れられた時代、カトリック信者が敢えてそれを断ったケースも知られている。キリスト者になることはカーストから出ることを前提にしているからという理由だ。

今は公式にもカースト制が廃止されているわけだけれど、この映画に出てくるメイドは多分、そういう不可触賤民の改宗カトリックの家庭出身なのだろう。建前はどうあれ社会的グレードを昇るのは難しい。

考えてみたらユダヤ=キリスト教系の「一神教」普遍宗教というのは、どの文化にもある階級のヒエラルキーを超えるための潜在的な「平等主義」を内包している。

それは「原罪」だ。

神の被造物である人間はすべて「原罪」を犯しているので「神の前に罪びとである」という点では全員が平等である。生前どんなに贖罪の努力をしても死後にその努力が認められるかどうかは神のみ旨一つにかかっている。だから、中世の頃からカテドラルの壁画の「地獄絵図」で地獄の炎の中で焼かれている人たちのうちに司教冠をかぶった元司教と思われる者が混じっているシーンというのは普通にある。

司祭でも司教でも教皇でも、キリスト者としてふさわしくない行いをした者は地獄で責め苦を受け得るわけだ。

カトリック世界においては特にこの「地上で聖なる人」や「偉い人」が地獄では苦しんでいるという図柄を表現することのハードルが低かった。なぜなら、救い主であるイエス・キリスト自体が、最悪の責め苦(鞭打ち、いばらの冠、釘で打ち付けられて磔刑など)を受けているシーンをこれでもかこれでもかと表現し続けてきたからだ。栄光のキリストの姿や聖像破壊(イコノクラスト)の伝統のある東方正教とは違う。

こんな文化背景があるから、フランスのような社会では、すべての宗教の聖人や聖職者を冒瀆するようなカリカチュアの容認度が高いのも無理のないことかもしれない。
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by mariastella | 2015-03-03 01:05 | 映画
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