L'art de croire             竹下節子ブログ

ジャクマール・アンドレ美術館『ジオットからカラヴァッジョまで』

この展覧会で、カラヴァッジョのこの有名な絵のオリジナルを今回はじめて見たような気がするが、

それを、これも有名なクールベの絶望の自画像と同時に見ると、これまでその二つを結びつけて考えたことがなかったのに、記憶の同じ場所にしまわれていることに気がついて、なるほどそうだったのかと何かが腑に落ちた。

もう一つ新鮮だったのは『荊冠のキリスト』のテーマだ。

イエスの受難と言えば、鞭打ち、十字架の道、釘打ち、十字架上の苦しさと渇き、十字架からの降下からピエタや埋葬まであらゆるものが描かれてきたけれど、茨の冠を無理やりにかぶせられているシーンはあまり「残虐」という印象はなかった。

でも茨の冠はかなり刺々しいもので、かぶせる方も二人がかりで、手を痛めないように棒でねじ込んでいくのだから実は恐ろしい。それでもカラヴァッジョのこの絵などは刑吏が無表情で構図や明暗の見事さ以外には「痛み」は感じられない。

ところが今回カラヴァッジョ派のバルトロメオ・マンフレディのものが展示してあって、迫力に驚くとともに、そのもととなったカラヴァッジョの別の「茨冠のキリスト」との比較にはっとした。

カラヴァッジョの原画のキリストの「顔」にショックを受けたのだ。

マンフレディのものは諦念があり、イエスがある種の悟りの中でこれから十字架の上で息絶えるまで続く受難やその後の復活のことまで思いをはせているような気もするのだが、カラヴァッジョの方のイエスの顔はそのまま「神性」が顕現している、もう人としての彼はそこにはいないのでは、と思わせる何かがある。

首から肩、胸にかけての流れも陰影も美しく、同じ形を踏襲したマンフレディのそれとは格が違う。

カラヴァッジョはいったい何にインスパイアされたというのだろうか。
[PR]
by mariastella | 2015-06-12 06:18 | アート
<< 『ティエリー・トグルドーの憂... Le Souper (夜食)... >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧