L'art de croire             竹下節子ブログ

オーデュボンという人

数年前に、今読みたい小説第一位、みたいなキャッチフレーズに惹かれて買ってみた文庫本『オーデュボンの祈り』(伊坂幸太郎)をようやく読んだ。

最初に読み始めて20ページで挫折して放置していたのだけれど、何となく目について手に取ったらまた挫折しそうになった。日本に住んでいてもっとじっくり選択の余地があったら多分読んでいなかったかも。

著者が20代の頃の処女作で28歳の青年の一人称小説のせいか、「中年」「中年」、と形容される登場人物たちが皆30代半ばだったりする。老けて見える30代の男に、若かった頃はハンサムだったのでは、などというのもなんだかすでに私と視点がずれすぎている。

150年の鎖国を続けた島に欠けていたものという最大の謎が音楽で、それを「癒す」のがアルトサックス、っていうのも‥‥。
欠けていたのはジャズだけですか。

昔はポルトガル船とかが寄稿していた島なのだから、楽器や手回しオルガンがあっても不思議じゃないし、その前にも、土着の歌だの楽器だのがない集落なんて民俗学的にあり得るのかなあ。
欠けているのは「祭礼」だと言った方がおもしろかったと思う。
「人間を形成すのに最も重要なものは親の愛情」というのが何度か出てくるのも鼻につく。

この本はコミック化されたり芝居になったりしたようだが、何がそんなに魅力的だったのか分からない。

案山子がしゃべるという設定には何かヴィリエ・ド・リラダンの『未来のイヴ』を連想して、違和感がなかったくらいで、別に、シュールな不条理ストーリーについていけないとかいうことではないのだけれど。

だから私の好みに合わないということだけで別に批評をしたかったわけではない。

ただ、この本を読んで、フランス姓を持つオーデュボンという人が気になって検索したらなかなか興味深い人だった。

1785年、フランス領サン・ドミンゴ島(ハイチ)のレ・カーイでナントからの移民の母とブルターニュ出身の長距離船船長の父の間の庶子として生まれた。
父は島に黒人奴隷を使ったプランテーションを経営していた。
1788年に大型シクローンで町が大打撃を受けたというから、そのせいもあって、なんとフランス革命の年にフランス本土に引き揚げている。

オーデュボン夫妻には子供がいなかったようで、早くから養子となり夫人に引き取られて育てられたようだ。父の使用人であったのかもしれない実母は彼の誕生と同じ年に死んでいるから、産褥死だった可能性は高い。

フランスにやってきた息子は絵が好きだということで絵の勉強をさせてもらったという。後にナポレオンの宮廷画家となるダヴィッドに手ほどきを受けたという話もある。

フランス革命からナポレオン戦争にかけての国民皆兵の徴兵を避けた父はパスポートを偽造して1803年に家族とアメリカ本土に渡った。この時18歳ということになる(故郷のハイチはフランス革命の影響を受けて解放戦争があり、1804年に独立した)。

1808年に2歳年下のルーシー(イギリス生まれで1801年アメリカに移住)と結婚して1809年に長男が生まれている。1812年、27歳でアメリカ国籍取得。その後は鳥類図鑑などで超有名になってニューヨークの大通りにもその名が冠されている名士だ。
英語ではジョン=ジェームスという名だがフランス語圏ではルソーと同じジャン=ジャックである。

ブルターニュのルーツからしてカトリックだろうが、アメリカに渡る時黄熱病に罹り、クウェーカーのコミュニティに隔離されて看護され、英語も習得したという。
ルイジアナの鳥を多く写生したのでニューオーリンズには彼の名を冠する動物園があるという。その辺はフランスのルーツを感じさせる。マンハッタンのトリニティ教会に埋葬されているので夫人にならって聖公会に改宗したのだろう。

この夫人というのが芸術家肌の夫を支えてかなりの活躍をした。自然への情熱も分け合い、音楽家で、教育者で、人道主義者でもあった。彼女がいなければオーデュボンの後世に残る名声はなかっただろう。夫の死後も長生きしてその作品の普及に努力した。

その頃のフランスとアメリカの有効な関係や、フランス革命の時代でも地方でのブルジョワは息子に優雅に絵の勉強をさせていたのかなど、いろいろ考えさせられる。
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by mariastella | 2015-09-01 00:09 | 雑感
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