L'art de croire             竹下節子ブログ

信仰とご利益   フィレンツェの話  その4

フィレンツェの教会や大聖堂ではあちこちで「拝観料」みたいなものをとられる。

それのないところでは、有名な絵だの壁画だの彫刻だのの場所は薄暗くて、コインを入れると灯りがつくようになっている。
アルザスみたいだ。
アルザスはフランスの政教分離法ができた時にドイツ領だったので、まだナポレオンのコンコルダが生きていてカトリックの施設がカトリック教会のものなので維持費を捻出する必要がある。
フランスは政教分離法以前の教会は皆国が没収したので国や市町村が修理などを受け持つ。だから観光客にもいろんな意味で寛大だ(服装規定も含めて)。公共施設という建前があるからだ。

フィレンツェはアルノ川があるので、ミラノと違ってパリと似た雰囲気があると19世紀のフランス人が書いているけれど、一番違うのは糸杉だと思う。マロニエのパリ、糸杉のフィレンツェというのが第一印象だ。
フィレンツェの遠景に山並が見えるのは日本的な懐かしい風景でもある。

ウフィッツィ美術館で最も有名かもしれない
ボッチチェリの『ヴィーナスの誕生』
は考えたら不思議な絵だ。

日本人はヴィーナスといえば、子供の頃からこの絵とミロのヴィーナスを刷り込まれているのでこんなもんだと思っているけれど、ボッチチェリのヴィーナスの姿どう見てもは北欧系、ゲルマン系である。

ミロのヴィーナスは色がついていない白大理石だからアジア人から見ると「白人」というだけなので、その意味ではボッチチェリのものと変わりはないが、フランス人から見たら、ボッチチェリのものは地中海的ではないらしい。
そういわれればそうだ。
ボッチチェリのヴィーナスについて、ヴァルプルギスの夜に冬の月光に照らされて生まれたようだ、とロマン派時代のフランス人がコメントしている。画面の左上からヴィーナスに息を吹きかけている天使2人も「肺病のイギリス人の若者」みたいだとひどい言われようだ。

ボッチチェリの聖母子像はどれも好きだ。
聖母の表現は、フラ・アンジェリコ、フィリポ・リッピ、ボッチチェリの、ラファエロと、まるで教科書のようにだんだんと超自然の雰囲気から「普通の女性」化していく。
それぞれに込められた霊性のようなものも明らかに違う。

リッピの聖母が透明感があるのにもかかわらず、上唇が少し上を向いているところなどリッピの「男の視線」を感じる。
ボッチチェリの描く聖母や女たちも天上的ではあるけれど、その眼は運命の窓でなく頭と心の窓であると言われるように、人格を感じさせる。

しかし、これだけ、宗教テーマの絵が量産されて至る所に配されているのを見ると、それを促していたのが本当に信仰なのかと疑問がわく。

生前から福者と通称されていたというフラ・アンジェリコの絵だけが確かに「祈り」を塗り込めている感じだけれど、他の人たちは「職業画家」の部分が大きい。

時の権力者たちにしても、どれだけ信仰があったのか分からない。
いわゆる「信心」はあったと思う。
各種の加護を求める気持ちと、死後に地獄に堕ちたくないという気持ちはみな持っていたのだろう。

でないと聖遺物入れや墓所にあれほどの情熱で立派なものを造らせないだろう。

一神教と日本の先祖崇拝は全く異質のように見えるかもしれないけれど、少なくとも中世やルネサンス期のカトリック世界では、どの家も「家系の守護聖人」がいて、それを洗礼名にして代々受け継いでその絵を描かせて飾るのだから先祖を供養して加護を求める心性は変わらない。

しかも、聖人というのは時空を超越するので、聖母子像や十字架像や聖母被昇天やキリスト昇天や最後の審判図にでも自在に登場できる。

カトリックがつい半世紀ほど前まで信者が自国語の聖書を勝手に読むのを規制していたり想定していなかったりしていたのは今となると不思議な気がするけれど、その代わり至る所で聖書どころか教義だの聖人伝だのを図解していたわけで、ここまで濃密だとむせかえる。

平均的な日本人が合唱団でミサ曲やモテットなどを歌い続けてイタリア公演から帰って洗礼を受けた、という例があるけれど、何となく分かる気がする。

イタリア、スペイン、フランス、オーストリアはもちろん政治的な理由もあって宗教改革の嵐に持ちこたえて大筋がカトリックにとどまった。

歴史的には、ローマ教会に土地を寄進して封建領主にしたのはフランスだし、教皇庁をアヴィニョンに移すほどフランス王の傀儡にした時代もあったのでフランスとカトリックの関係も相当なものなのだけれど、フランス革命のせいで、フランスだけが共和国主義と無神論イデオロギーが重なって、信心も信仰も独特のシニカルな形に移行したと思う。

フィレンツェもそうだが、イタリアを見ているとやはり、カトリックとイタリアの関係の深さが強すぎて、この40年近くよくもまあポーランド人とかドイツ人とかの教皇を選んだなあと驚く。

ましてやアルゼンチン人なんて、怪物のようなカトリック教会でいったい何をどのくらい動かすことができるのだろう。
フランシスコ教皇、さぞや大変なことだろう。

今の時代、ご利益を求めるのは祈りでなくてコスパなどの数字を通してだし、あふれる情報も、積み重なったり刻まれたりすることなく消費され、流され、上書きされ続けるものばかりだから、信心や信仰が今やどの程度人の生きる指針になるのかさえ見当もつかない。

ともかく、フィレンツェの巨大彫刻やドーム屋根内部や天井や壁を埋め尽くす図像を見ていると、霊性というより、アートに腕力があった時代なのだなあと思う。それもなんというか、神に捧げる「イタリア的腕力」。

美術の教科書でミケランジェロだけ眺めていたら突出した普遍的な天才かと思うけれど、あの時代のフィレンツェのパワーが彼を後押ししていたのだと分かる。

ミケランジェロはルネサンスとバロックの境目、フィレンツェとローマにまたがって生きた人だけれど、つくづくフィレンツェ人なのだなあとあらためて思った。

ルネサンス美術からバロックへの移行については以前『レオナルド・ダヴィンチ 伝説の虚実』(中央公論新社)という本で書いたことがある。

でも、もしフィレンツェに住んでいたら、書けなかっただろう。
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by mariastella | 2015-09-09 01:22 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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