L'art de croire             竹下節子ブログ

『偉大なるマルグリット』グザヴィエ・ジャノリとカトリーヌ・フロ

『偉大なるマルグリット(Marguerite)』Xavier Giannoli / Catherine Frot, André Marcon Michel Fau
を観た。

グザヴィエ・ジャノリ監督が性格俳優カトリーヌ・フロ主演で、実話をもとにした悲劇を映画化したものだ。

実際は1940年代のアメリカで富豪の女性が歌手を夢見て、金の力を駆使してカーネギーホールでリサイタルを開いたが、酷評を読んでショックを受け、数日後に音楽のブティックの中で心臓麻痺によって死んだ。

それを1920年代のパリと近郊に置き換えている。

アメリカの話はメリル・ストリープやヒュー・グラントで映画化も決まっているらしいので、そちらもさぞや鬼気迫る話になるだろう。

このフランス版はもとのタイトル案は「あなたを喜ばせるために」だったそうだ。

いわゆる音痴というか正確な音程で歌えないのに、ひたすら夫に振り向いてもらうために努力し続けた女性の報われない愛の話になっている。

マルグリットは富豪の娘らしく、おそらく貴族と姻戚関係を創りたかった親の意向で男爵と結婚した。

その男爵にとっては実質をとった結婚だが、マルグリットはこの夫に夢中になった。

夫は妻が浪費家でわがままで自己愛の強い怪物だくらいにしか思っていなかったので、妻に愛されていることに気づかなかったのだ。

多分最後の方でようやく気づいて、また、彼女を利用する者たちの残酷さに耐えられなくなって、彼女を守ろうとするが、それまでたったひとり彼女を守っていたかのように見えていた黒人の執事が見事にそれを裏切る。

金、愛、アート、音楽、アート批評、などにまつわるいろいろなテーマが満載だ。

自己表現への野心と自信と自信喪失とフラストレーションとそこから生まれる怒りみたいなものがいろいろな形で描かれる。

つらくても希望が垣間見えるのは「若くて顔かたちがよくて一定の才能のある」人たちだけの特権だ。

他はみんな欺瞞や自己欺瞞の中で生きている。

楽な人はいなく、皆がサヴァイヴァルに必死なのだが、そのつらさは時々、スケープゴートを嘲笑することで解消される。

偽善、残酷、金の力、いろいろな波長の人間観察が深く広い。

映画としてもリッチで、数々のオペラのコスチューム写真、広大な庭園に転がる巨大な眼球、白い蛇、顎髭の生えた老女、彼女と寝る黒人の執事(ピアノも弾ければ踊りもやっていた)、怒った赤ん坊のように声を張り上げる孔雀、孔雀の羽、天使の羽、車がいつもエンストを起こす十字架の立つ道路、アポリネールのような詩を「描く」コクトーのような男、トゥールーズ・ロートレックを思わせる短軀の紳士、など、素材も面白ければ使い方も絶妙だ。

カトリーヌ・フロの絶望、自尊心、妄想、渇愛のすさまじさは『何がジェーンに起こったか?』のベティ・デイヴィスか『欲望という名の電車』の最後のヴィヴィアン・リーを思い出させるほど鬼気迫る憐れみを誘う。

ほとんどギリシャ悲劇みたいだ。

チャリティのサロンコンサートに出席したシュールレアリスム好きののジャーナリストがついうっかり「神々しいくらいに常軌を逸している」という批評を出したのを読んで「神々しい」という部分だけを信じて舞い上がり信頼してしまったマルグリットが痛々しい。

しかしこれは音楽における不協和音の問題にも関係する。

時はシュールレアリスムの時代で、特に絵画においては、「本物に似ている」という基準はすでに意味をなさなくなっていた。

ヨランド・モローの名演だった『セラフィーヌの庭』のことも思い出す。

絵画の分野では、デッサン力の優れた人が敢えてデフォルメしたり抽象画を描いたりすることもOKだし、「ヘタウマ」や「素朴派」が分野として成立する。

しかし、音楽では、即興音楽などは別としても作曲家が楽譜を残しているような音楽については、指定されている音を演奏者が外すことは、「失敗」であり、金をとって演奏をする演奏者としては「失格者」でしかない。

特に近代以降は、音楽教育において「機械的にミスのない演奏」のための訓練があまりにも徹底してされてきたので、バロック音楽の最もおいしいところのひとつである「不協和音」ですら聞くに堪えないと感じる耳になっている人までいる。

平均律楽器のピアノで「絶対音感」なるものを養ってきた人たちにはバロック楽器のピッチでの不協和音を聞かせれば病気になる人もいるのだ。

逆にピアノや、フレットのあるギターのような平均律楽器をやる人は、まったくの「音痴」であっても、それこそ機械的に音符通りに名人芸のような演奏をすることが、訓練次第で可能である。

何年ピアノを弾いていても、弾く前に音を脳の中で造らない人もいれば、自分の弾いた音を聞いていない人もいる。
それでも、正しいキーをたたけば音は外れない。

でも歌手は、先に脳内で音を造らないと声は出てこない。あるいはリズムとしては出ても、音程は外れるのだ。

マルグリットは、レコードで何時間もアリアを聴いている。日に何時間も練習している。

本番でも出だしを外さない。リズムも合っている。すなわち前奏部分や間奏部分はちゃんと聞こえているのだ。

それなのに自分の歌だけは聴こえていない。

聴きさえすれば、音程の正確さを区別する能力は彼女にはある。

だからこそ、自分の歌を録音したものを聞かされた時そのひどさに衝撃を受けて息絶えたのだ。

このエピソード、一度でも音楽教師の体験のある人には痛切な問題だと思う。

オリバー・サックスを読まなくても、リズムを造るところ、音程を造るところ、音符通りに機械的に演奏するところ、が脳内でそれぞれ違っていることは分かる。
そのどれかが少し欠けている生徒というのは必ずいるので、それは努力して矯正する限界がある。

ある意味救いがあるのはマルグリットの場合、彼女が音程を外していたのは、メゾの声帯なのに、夫の気をひくために最も華やかなソプラノ・コロラトゥーラのレパートリーを歌ったからだという設定になっていることだ。

それでも普通は、自分で気がついてレパートリーを変えるのだが、自分の声を聞いていないマルグリットには不可能だ。

それで最後のクライマックスにおいて、最後の最後、一瞬、音程を外さずに歌う。

聴衆が一瞬驚く瞬間だ。

しかしそれは声帯の限界を超えた瞬間ということで、彼女は血を吐いて倒れる。

病院で録音した時は声帯に無理のない自然体で歌ったので当然、以前通り音は外れまくったというわけだ。

この辺が本当にあり得るのかというのは分からない。

しかし、自分の実力、努力の可能性、矯正の可能性などを見極めぬままある技能を習得しようとする時のリスクについて考えさせられる。

室内楽の教師とも話したのだが、この映画は、すべての音楽指導者にとって強烈な印象を与える。

予告フィルムの冒頭がモーツアルトの魔笛の夜の女王のアリアを「神々しく」外すシーンなので全編こういうのならどうしようと心配したが、実際はパーセルで始まり、興味深い音楽もいろいろ聞けるので音楽的にも好感が持てるものだった。

カップルの問題としては、こんな貴族でなくても、「妻が趣味の活動に没頭しているのを寛大に許してやっている夫」というのはいそうだが、実は「優しい一言を毎日かけてもらうこと」がかなわない妻のSOSをキャッチする能力のない自己中の男、なのだというケースは普通にありそうで、なかなか考えさせられる。
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by mariastella | 2015-09-21 00:05 | 映画
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