L'art de croire             竹下節子ブログ

パリの奇跡の治癒の話 その3

(これは前回からの続きです)

この教会の「奇跡の治癒」の集会を組織しているのはイマニュエル会だ。

タルディフ神父らの運動と同じ系譜である。

てっとりばやくいうと、1970年代にアメリカのカリスマ運動に接してフランスに帰ってきた人たちが1976年につくったグループで、その後ローマ教会の承認を受けている。

もともとカリスマ刷新運動は、アメリカのプロテスタントの中で「聖霊降臨」を生きる人々(部外者の目から見るといわゆる神がかり)になって集団で陶酔するような状態を再現するグループから始まった。

聖霊によって様々な異能を授かるという「カリスマ運動」は多くの信者を獲得し、それがアメリカ聖公会、エキュメニカル派のプロテスタントやカトリックへと波及したのだ。

カトリックでは、「奇跡」は「聖人崇敬」、「聖地巡礼」を通して管理されているので、このような熱狂に対して教会はあまりいい顔をしなかった。

しかし、アメリカ大陸のカトリック信者たちがどんどんとペンテコステ(聖霊降臨)派の教会に流れていくので、それを食い止めるためにも「カリスマ運動」の受け皿が必要だとカトリック教会が考えたとしても不思議ではない。

教義的にも、絶対に禁止する理由はない。

第二ヴァティカン公会議を始めたヨハネ23世も「新しき聖霊降臨として、今おんみの奇跡を更新し給わんことを」と祈ったし、パウロ6世も「永遠に続くペンテコステ」が教会には必要だと言った。

ルーティーン化する典礼や冠婚葬祭だけでは人々の心をつかめない。

「不思議」や「奇跡」をもたらす聖霊が「現役で降ってくる」場所を確保しておかないと活性化は期待できないだろうし、若者たちはいつもエネルギーのある方に惹かれる。

「今、ここ」のご利益を期待する現世主義の傾向にも応えられない。

で、カリスマ派の容認。2014年6月にはローマのオリンピック・スタジアムでのイタリアのカトリックカリスマ刷新の第37回全国総会にフランシスコ教皇が参加した。

教皇はカリスマ派について以下のコメントを残しているそうだ。

「何年も前、70年代の終わりか80年代の初めには、わたしは彼らに会ったことがありませんでした。一度、彼らと語りながら次のように言ったことがあります。『この人たちは典礼祭儀とサンバの学校とを履き違えている』と。このようにわたしは言ったのです。
わたしは考え直しました。その後で、もっとよく彼らのことを知ることになりました。
よい指導者たちに恵まれた時には、この運動がよい歩みをしたことも確かです。そして今は、この運動は、一般的には、教会にとても益になっていると思います。ブエノス・アイレスでは、わたしはしばしば彼らを集め、1年に一回カテドラルで彼らみんなとミサをささげたものです。わたしがやり直したとき、彼らがしている良いことを見た時、わたしはいつも彼らを支えてきました。なぜなら教会のこの時点で、―そしてここでは、もうすこし答えを拡げますが―わたしは多分様々な運動が必要なのだと思うのです。様々な運動というのは、聖霊の恵みだと思います。

 『でもこんなにも自由勝手な運動をどう支えることができるのですか?』と問う人もいるでしょう。教会も自由です。聖霊は為したいことをするのです。しかも、聖霊は調和のはたらきをします。けれどわたしは様々な運動というのは恵みだと思い ます。教会の精神をもっている諸運動は。ですからカリスマ刷新の運動は、ペンテコステ派の信仰告白へと移行するのを妨げるためだけに役立つのではありません。それではないのです。教会そのものに役立つのです。つまりわたしたちを新たにするのです。そして一人ひとり自分のカリスマに従って、聖霊が促して連れて行くところで、自分の運動を探すのです。」(http://unidosconelpapa.blogspot.fr/2014/02/blog-post.htmlより引用)


とてもバランスのとれた模範解答だ。
聖霊にインスパイアされたのだろう。

教会がいろいろな形の運動と並走することがあってもいい。

その運動が「よい指導者たちに恵まれた時」にはよい歩みとなり、「よくない指導者」にかかると「サンバの学校」となりかねないだけだ。

自由の尊重と教会の精神の徹底。

この兼ね合いはきっと難しい。

で、先日の話。

サン・ニコラ・デ・シャン教会に入った時、とにかくたくさんのスタッフが私を含む席のない多くの人たちの落ち着く場所を必死に誘導しているのがまず印象的だった。
誰かが倒れた時にすみやかに救護できる経路を残しておくようにと消防署から厳しくお達しがでているそうだ。
納得できる。

「スタッフの指示に従ってください。スタッフの指示には主イエスの声だと思って謙虚に従ってください。後ろの部屋にも場所があります。そこからはご聖体は見えませんがスピーカーで祈りは聞こえます。そういう隠れた場所にも主は必ず来てくださいます。いや、隠れた場所にこそ優先的に来て下さるのです」

とアナウンスが流れている。

子連れや赤ん坊連れの人も多い。

お年寄りも多ければ具合の悪そうな人、障碍のある人も多そうだ。

こんなところにぎっしりつめこまれて倒れたりさらに具合の悪くなる人が出てこないだけでも十分奇跡ではないか、と思ってしまう。
みんな昂揚しているから一時的に抵抗力が増すのか。

あまり昂揚できない私はこんなところで一時間半も立っていられるだろうかと少し心配になってきた。

ギターの音と共ににぎやかな歌が聞こえてきた。

「サンバの学校」?

 (続く)
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by mariastella | 2015-09-30 00:04 | 宗教
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