L'art de croire             竹下節子ブログ

パリの奇跡の治癒の話 その8

(これは前回からの続きです)

人が集まっているのはイエスの聖心(聖なる心臓)のチャペルだった。

その前にもカゴが置いてあり、多くの「祈願」の紙が入っている。

脇の机の上には紙とボールペンが置いてある。

あらかじめ願い事を用意してこなかった人はその場で書きこめるのだ。

なるほどここに祈願を置いておけば、「奇跡の治癒」にあずかれなくても、一応何かをした気にはなる。

私も書くことにしたが、ボールペンのインクの出が悪かった。

それで自分のボールペンを出して書いて、それをそこに置いておくことにした。

書き込みをしてしまった「聖歌の歌詞」のプリントを返却できない罪滅ぼしのつもりだ。

蝋燭を買って供えることもできるのだがしなかった。

「祈願」は日本語で書いた。
この集会は徹頭徹尾フランス語だったが、イエスや聖母はフランス語を話していたわけではないから何でもOKだろう。

日本の寺社では絵馬を購入したり祈願や供養を頼むと有料だけれどここはただ紙に書いておいておくだけでいい。

イエスの聖心(サクレ・クール)のチャペルが礼拝されているのは、パレ・ル・モニアルと関係があるのかもしれない。  
このイマニュエル共同体は、毎年夏に、パレ・ル・モニアルで国際大会を開いているのだ。今は240人いる司祭を含む9万人(59ヶ国に拡がるが半数はフランス)のメンバーの三分の一くらいがやってきて、家族、若者、退職者、医療関係者などに分かれてセッションをするそうだ。

パレ・ル・モニアルはマルグリット=マリー・アラコックという修道女が1673年から75年にかけてイエスの聖心臓の「ご出現」を見た聖地でそれ以降の「聖心」信仰のルーツとなった場所である。

この教会のチャペルにも、大きく自分の胸を開いて光り輝く心臓を見せているイエスの姿の絵が飾ってある。

イマニュエル共同体を創設したピエール・グルサは、アメリカのカリスマ運動についての証言と説明を聞いて、数年後に5人で始めた祈りの会が一年後には500人になっていたという。彼は聖職者ではないが在俗奉献者(今のイマニュエル共同体にも200人の在俗奉献者がいる)というステイタスで、1991年に亡くなり、2010年から列福調査が開始されている。

列福の条件となる「奇跡」は彼の「取次ぎ」を祈った結果得られたものでなくてはならない。
聖体礼拝による「いつもの奇跡」だけではだめなのだから皮肉と言えば皮肉だけれど、この共同体のパワーがあればきっと楽勝だろう。

ともかく、心臓を見せているイエスの姿の前で額づいて祈っている人たちの姿は真剣で、さっきの聖体器に納められていた聖体もきっと心臓だったのだなあ、と思えてくる。

祭壇後ろの電子ピアノの前で髭の男がずっと音楽を鳴らし続けている。

教会の外に出ると外は薄暗がりになっていた。

癒しには夕闇が似合う。

「日が暮れると、いろいろな病気で苦しむ者を抱えている人が皆、病人たちをイエスのもとに連れて来た。イエスはその一人一人に手を置いていやされた(ルカ4-40)」

という福音書の言葉をティエリー神父があるインタビューで引用していたのを思い出す。(続く)
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by mariastella | 2015-10-05 05:19 | 宗教
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