L'art de croire             竹下節子ブログ

『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』と『オデッセイ』

見逃していた『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』をブルー・レイで観る機会があった。

不思議な映画だ。

3Dの特殊撮影の美しさが売り物なのだけど、大きくもないTV画面で観たのでキッチユな感じが目立ってあまり感動的、幻想的という感じがなかった。

興味深いと思ったのは、フランス語版で観ていたので、フランスらしさがよく伝わってきたところだ。

ヒーローの少年が生まれて育ったのがポンディシェリというインドの旧フランス植民地で、町もフランス風、学校でもフランス語を習い、脱出しての移民先もフランス語圏があるカナダだ。

船の意地悪な給食係りがフランスの名優ドゥパルデューのちょい役と言うのも面白い。

主人公のおじが世界中のプールで一番素敵なのがパリのピシーヌ・モリトールだと言ったことで主人公の名がピシーヌ・モリトールになる。

で、ピシーヌ(プール)なのだけれど、それが「小便をする」を連想させて学校でからかいの種にされる。その単語もフランス語と共通している。

で、最初のピだけとって、ギリシャ語のπ(パイ)だと呼ばれるようにするのだけれど、フランス語では円周率も「ピ」と発音されるし、映画のタイトルも『ピのオデッセイ』となっている。

この映画をうちの猫のスピノザ(スピヌー、スピンボーイ、スピなどの他にピーと言うだけでも反応する)を膝にのせて観ていた。

猫がピーで、主人公もピーで、映画の中のベンガル虎は狂暴だけれどうちの猫は喉を鳴らしている。

ユゴーが「猫を飼う喜びは猛獣を愛撫する歓び」と言ったように、画面の虎リチャード・パーカー(実在の漂流船の犠牲者の名)が歯をむき出して咆哮しているのを見ながらうちの猫を撫ぜまくっていると理由のない優越感を感じてしまう。

ピー少年が途中で寄った架空の島はセント・ヘレナ島に似たシルエットだ。

原作小説が『パイの物語』で、英語のタイトルが『ライフ・オブ・パイ』なのにフランス語でオデッセイという言葉が使われているのが、リドリー・スコット監督の『オデッセイ』を連想させる。

どちらもたった一人で過酷な自然の中に置き去りにされた主人公のサヴァイヴァル・ストーリーだ。

こういうサヴァイヴァル能力が極端に低い私にとっては想像するだけで悪夢の世界だけれど、火星で一人きりのマット・デイモンの環境は硬質で、パイ少年の環境は、虎、太平洋、人食い島、クジラ、無数のトビウオやミアキャットなど、極端に有機的なものだ。

しかも、パイ少年の話は、実は漂流のトラウマを抑圧するためのアレゴリーだったらしいと最後に分かって、なんだかおどろおどろしい話になっている。

パイ少年が「神さま」に運命を託すタイプの宗教的感受性の強い少年であるのとは対照的に、火星に置き去りにされた宇宙飛行士は、木の十字架を削って燃料にするなど(このシーンを冒涜的だとか、いやキリストが彼の命を救ったのだとかいう議論が戦わされたそうだ。スコット監督は、自分は不可知論者だと言っている)、冷静で実務的だ。

火星のシーンや宇宙船がすべて特殊撮影や造りものであることは当然で驚かないのに、『ライフ・オブ・パイ』に出てくる太平洋の大自然だとか嵐、実在の動物や魚がCG合成だと言って感心するのも面白い心理だ。

『オデッセイ』は大スクリーンで観たからそれなりに迫力があったし、先端科学的なディティールも興味深い。

『ライフ・オブ・パイ』は漂流するということ自体は現実的な話なのに何から何まで幻覚的で濃い。

『オデッセイ』にはヴァイオレンスがない。

『ライフ・オブ・パイ』には牙をむく虎のような分かりやすいヴァイオレンスと、少年の心の葛藤の凄まじさという隠れたヴァイオレンスがある。

同じ時期に違う形で観た対照的な映画だった。
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by mariastella | 2015-10-25 07:20 | 映画
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