L'art de croire             竹下節子ブログ

離婚再婚者の聖体拝領(質問への答えです)

家族シノドスのレポートについて、10/26の新聞の報道には驚いた。

メディアによって、とらえられ方が全く違う。

実際、参加した司教たちの報告にしても、彼らのもともととっていたスタンスによって、だいぶ違う。

「これで再婚者の聖体拝領が可能になった」と満足する者も、「カテキズム(公教要理)を教えることも含めて教区の活動にはすべて元通り参加できるけれど、聖体拝領は不可能だ」と言い切る者も「何も決まったわけではない、今までと基本線は変わらない」と言う者もいる。

このテーマについて、メールで質問があったのでもう少し詳しく言うと、最終レポートの94項のうち、84、85、86の3つがこのテーマ(分別と統合)であり、いずれも必要である3分の2の賛成票を得たが、85番は一票の差だった。

84は、「離婚した後再婚した者で洗礼を受けている者は、今よりもキリスト教共同体に統合されなければならない」と、共同体からの排除を改めるもので、賛成187反対72。

86は、教会の愛と教えに照らしてそれに必要な条件が保証されねばならないということで賛成190反対64。

85は、オーストリアのSchönborn枢機卿のグループが提案したもので、離婚と再婚の状態について、良心に照らし、悔い改めが必要だという話で、離婚に際して子供たちに対してどうふるまったか、和解する努力はあったか、分かれた相手の情況はどうなのか、再婚の情況が他の家族にもたらす影響、信者たちに与える影響、これから結婚しようとする若者たちに与える影響を鑑みよ、と言うもので賛成票が178のぎりぎりだった。

それでもこれを通すためにあえて「聖体拝領」の言葉を入れなかったという。

もう少し分かりやすく言うと、これは、「ケース・バイ・ケースで判断しよう」という意味だ。

早い話が、連れ合いが死んでやもめとなった場合、これは不可抗力だから再婚しても問題ないように、「離婚」にも不可抗力があるということだ。

片方が一方的に連れ合いや子供を捨てていったとか、暴力や中毒や犯罪などのせいで、子供を守る正常な家族生活が不可能になっていわば正当防衛とか緊急避難の形で離婚を余儀なくされる場合がある。

そういうものを、単に「性格の不一致」で別れるケースなどと同列には語れない。

一方が浮気して出て行って、子供と残された方が新しいパートナーと出会って新生活ができた場合、浮気相手と結婚した方にも、犠牲者の方にも一律に「聖体拝領」禁止の破門扱いをするのは理不尽というものだ。

まあ、これがひどい場合は、今回簡略化された「結婚の無効」を申し立てることもできるわけだけれど。

でもどちらかが一方的な犠牲者でなくても、「燃え尽きて」しまって別れるケースもあるだろう。

その時に、親として子供を守ったか、その後の責任の取り方は、ということが問われる。

至極まっとうな考えであるように見えるけれど、そういうリアルポリティクスみたいなのは一切受け付けませんという保守派も当然いる。

それに、人が本当に燃え尽きたり鬱状態になったり絶望したりしたら、責任とか後悔とかもろもろのことなどケアできないケースだってあるだろう。

これは何も教会だけの話ではない。いろいろな意味で「落ちこぼれた」人を、弾劾したり叱責したりする閉鎖的なエスプリではだめで、「傷ついたメンバー(人間)をみんなでケアする」というメッセージが優先されなくてはならない。

10/23のミサで教皇は「時代は変わる、自分たちキリスト者も変わり続けなければならない」と言った。

これは時代に迎合するという意味ではなく、時代によって人の傷つき方が変わることに対応しなくてはならないということなのだろう。

シノドスの最後は、265人の司教と他の94人(識者、聴講者、司祭、修道女、一般信者)のスタンディング・オベーションで終わったと言う。

それぞれが何に拍手していたのかはこれから先を見てみないと分からない。
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by mariastella | 2015-10-27 02:56 | 宗教
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