L'art de croire             竹下節子ブログ

沖縄とパレスティナ

辺野古埋め立てについてこの記事を読んだ。沖縄の弁護士会、リアクションが速くてすごい。

でも、いくら法律的に阻止しようとしても、「実際の埋め立ての既成事実が進む」ことに警鐘を発しているブログもある。

知れば知るほど、日米が沖縄に押し付けてきた運命は理不尽に思えるので、他の問題に比べると、辺野古問題をどう見るかは分かりやすい。「リーダー」を待っているだけではだめなのではないだろうか。

パレスティナのナイフによるインティファーダも気にかかる出来事だ。

これまでの「無力なパレスティナ人が投石する」というイメージでは全然ない。

ついこの前までは、ユダヤ国家とパレスティナ国家という国家間の政治的争いがベースになっていたのに、今やイスラム過激派のウェブ戦略によって「宗教の争い」にすり替えられている。

パレスティナの青年がある朝スマホを見て、ISの「聖戦」の煽りに義務感を目覚めさせられて、ナイフ一本を持って誰でもいいから「ユダヤ人」を殺しに行く、という単発行動が少なくない。

これはフランスでユダヤ食品店がテロに狙われたのと変わらない。

エルサレム旧市街地の「神殿の丘」にしても、ついこの前までは、ソロモン神殿の至聖所の場所が不明で特定されていないのだから踏みつけるリスクを冒すなとラビが言っていたこともあってイスラム礼拝所として機能していたのに、封鎖されてしまうなど、民族や国家、政治の戦いから宗教の戦いであるかのようにどんどん色づけられてしまっている。

エルサレムに住むユダヤ人もアラブ人も戦々兢々で大変だろう。

シオニズム運動の対応に、日本が満州の一部をユダヤ人の国に提供するという案も出していたというのを最近知った。その理由は共産国ソ連との間の緩衝地帯にするためだ。アフリカという案もあったらしい。今のイスラエルが選ばれたのも、イスラム圏を分断する緩衝地帯にするメリットがあったからだという。大国の政策に便利なところなら、アブラハムだのモーセだのに「約束された土地」でなくてもよかったのだ。

国家間のエゴイズムの犠牲になったという点では沖縄もパレスティナも共通している。

でも沖縄では民主主義、法治主義による戦いが勧められているのに、パレスティナで「宗教の戦い」にすり替えられつつあることには、暗澹とする。
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by mariastella | 2015-11-01 20:23 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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