L'art de croire             竹下節子ブログ

ミケランジェロの神頼み

Seigneur, accordez-moi la grâce de toujours désirer plus que je ne peux accomplir.
「主よ、自分が成し遂げることのできる以上のものをいつも望むというお恵みを私にお与えください」

というのはミケランジェロの言葉だそうでフランスではよく引用される。

なかなか深い言葉だ。

ある意味で「身分相応」と反対の「身の程知らず」を願っているのだから。

まあミケランジェロの言葉だと思えば、システィナ礼拝堂の天井画を思い出して、これは「不可能に思えることも決してあきらめない」ということに聞こえる。

「挑戦する力を与えてください」という意味なのかもしれない。

私も音楽の生徒に、いつも今自分のできるテクニックばかりで練習していたら進歩はない、常に現状より少し負荷をかけないと次のステップに進めない、などということがあるのだけれど、それにも通じる。

désirer(欲望する)というところも大切だ。これも「音楽というのはvouloir(…したい」だから」と生徒によく言う。

どんな曲でも、「なんとしてでも弾きたい」という自主的な欲求がなければ、特に自分のレベルより少し上の曲ならば、練習だけでは絶対にうまくいかない。

ミケランジェロは、

たとえ自分が身の程知らずの欲望を抱いても何とか助けてください、

と神頼みをしているわけではない。

いわば、自分が「大志を抱く」勇気をください、と言っているのだ。

ミケランジェロにしてもが「大志を抱く」勇気を持つのが神頼みするほどに大変だったということは、人はやっぱり「あきらめる」とか「現状維持」とかの方に傾きやすいということなのだろうか。

たとえば「病気を治してください」よりも
「病気と闘う力を与えてください」、それよりも
「病気と闘いたいという気持ちを持たせてください」ということ、

「試験に合格させてください」よりも
「試験に合格するために努力する力を与えてください」であり、さらには
「試験に合格するために努力したいという気持ちを与えて下さい」という感じだろうか。

何にしろ自発のやる気というものが一番難しいので、そこにこそ神頼みが必要なのだろう。

自分のキャパシティを超えたことに挑戦して成し遂げるなど、
そのモティヴェーションの最初のところから神(自分を超えた何か)に参入してもらわないとそもそもできないことなのかもしれない。
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by mariastella | 2015-11-02 05:11 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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