ヌーヴォー・フィロゾフの騎手だったアンドレ・グリュックスマンが亡くなった。
78歳という年齢が意外だった。ベルナール=アンリ・レヴィやクリスチァン・ジャンベなどのイメージからいわゆる68年世代のイメージがあったからだ。
それに、サルコジ支持のイメージが強すぎて、何となく、フランスの知識人の多くがそうだったように「一時期すっかり毛沢東にかぶれた後で夢破れて転向した人」という印象があったので最近の本などは全く読んでいなかった。
けれど、今朝、ラジオでダニエル・コーン=ベンディットの話を聞いて親愛感を持った。
コーン=ベンディットこそ68年世代でナンテールの学生闘争の発端となった人だけれど、ドイツ国籍だったために国外追放になり、フランスに入国拒否処分になっていた。
70年代半ば、時代の寵児となったグリュックスマンは、当時の大統領だったジスカール=デスタンからエリゼ宮に招待されたのだが、その時に、「友人であるコーン=ベンディットの入国拒否処置を解くことを条件にしたというのだ。
(その後ヨーロッパの進展でコーン=ベンディットの行き来は自由になり、最近はフランス国籍も獲得して仏独二重国籍者になった。70歳になったところだ。)
コーン=ベンディットによれば、グリュックスマンが一貫して求めていたのは「自由」であり、最初はそれを共産党や毛沢東に見出し、それに裏切られたと知ってからは「自由主義」社会寄りになり、その究極が新自由主義シンパに行きついたというわけだった。
「自由」の布教者としてあらゆる独裁者に歯向かうことが、イラク戦争支持になった。
しかし、サルコジの「自由」が個人の政治的野心の道具だと分かった後で、あらためてサルコジに向けた68年総括の本を出している。
シャルリー・エブド事件の前年の2014年には『ヴォルテールの反撃』という最後の本を出し、事件の後で皆が担ぎ上げたヴォルテールの「表現の自由」の大切さを先取りして熱く語った。
私は読んでいないけれど、
国とは「国家(ネーション)」を超えるものである
という信念は変わらず、
『キャンディッド』をもじって、
ヨーロッパこそが耕し続ける庭である、
と言っていたそうだ。
ヨーロッパは狭いけれどネーションとしては種々雑多で戦争も繰り返してきた国々だから、その彼らが「共通の庭」を耕すことを決意したことはやはり大したもので、今の荒れ庭状態を何とか乗り切ることで、「人類共通の地球という庭」に希望を与えてほしい。