『アムール、愛の法廷』クリスチャン・ヴァンサン監督ファブリス・ルキーニ主演『L’Hermine』
この監督と俳優の組み合わせは1990年の『discrète 』以来だそうだ。
ルキーニは名優なのにあまり賞に縁がなくて、ヴェネツィア国際映画祭の「金獅子賞」を獲得した今度の作品で最優秀男優賞を獲得して感激していた。 ルキーニは、前にも書いたことがあるように、私の好みのタイプではないが好みの俳優である。 この映画は彼にぴったりで、地方裁判所の裁判長として小さな世界ではトップの位置にあり、愛がないが金のある妻からうちを追い出されて一人暮らしをしている。「二ケタの判事(彼にかかる被告はみな懲役10年以上の重い判決を受けている)」との異名がある、60がらみのベテラン、厳格で、融通の利かない、人間味のない法律機械のようなプロとして恐れられたりけむたがられたりしている。 その日の裁判長はインフルエンザにかかって最不調でいよいよ不機嫌でいらいらしていた。 被告は27歳の男で七ヶ月の実子を足で蹴って脳挫傷で殺した疑い。 法廷で陪審員(裁判員)が選ばれる。 その中に、彼が6年前に腰だかの手術をして7週間入院していた時の麻酔医であったデンマーク人女性がいた。 彼はこの女医に恋をしたことがある。 彼女は手術後の病棟で一つ一つのベッドを見回り、患者の額に手を当て、手を取り、脈をとったりさすったりして血圧や脈拍の数字を確認していく。 彼女が近づくと彼は目を閉じて寝ているふりをしながら、彼女に触れられることで舞い上がっていたのだ。 裁判長という職業、家庭でのお客様扱い、(服を取りに一度戻るシーンでは歓迎してくれるのは愛犬だけで、メイドたちからも邪魔者扱いされている)、彼を生身の弱い人間として扱ってくれる人などいない。 でも、人は、入院して手術してリハビリするという状況になると、突然社会的役割や家庭での立ち位置などと関係なく、無防備な子供のように扱われる。 弱い立場になり、仕事からも肩書から家庭からも切り離されて「無名」の一患者となった彼の前に、実生活では絶対にないことが起こる。 女性がやってきて寝たきりの彼を見下ろし、身体を近づけ、そっと手を取って注意を集中してくれるのだ。 彼はラブレターを出し、返事をもらえず、その後手術を担当した外科医夫妻と彼女を一緒にレストランに招待する。そして「すごく会いたかった」とSMSを送るのだけれど「とてもおいしい食事で、楽しかった」とだけ返される。 あえなく失恋。 ところがその彼女が突然、彼が王のごとく君臨する「法廷」という小宇宙に「陪審員」として闖入したのだ。 彼女の存在が彼を変える。 愛を知ったものだけが弱者へのいつくしみも知るのだ。 で、いろいろあるのだが、被告は無罪となる。 「法廷とは真実を解明することが目的の場所ではない、人々に法をどのように守らねばならないのかを示すことが目的だ」 と彼は裁判員たちに告げた。 その裁判長の「変身」が彼女の心をも動かすことになる。 裁判員一人一人の個性や多様性が巧みに描写され、被告や被告の妻、証人たちもリアルで人間的だ。 私は個人的にもフランスの法廷や病院の関係者が身近にいることもあって、法廷シーン、病院シーンもおもしろかった。ヒロインと高校生の娘との会話にも親近感があるし、舞台となるピカルディのサントメールという町もよく知っている。 陪審員を経験した人は一人しか知らないけれど、日本で裁判員制度が導入される時にフランスの陪審制度について『新潮45』だかに記事を書いた時に詳しく調べたので、そのシステムはよく知っている。 そういう事情が重なって、すごく興味をもって見た映画だ。 フランスの法廷も病院も女子高生も北の町も知らない人が見たらどの程度面白いのか分からない。 映画のラブストーリーとかラブコメディは、暴力や残酷やホラーよりはましだけれど、私にとってあまりすすんでみる気がしないジャンルだ。 でもルキーニは私と同世代だし、まあ熟年の恋みたいなおとなしいテーマなのでわりとおもしろかった。 ルキーニの饒舌とフレンチ・エレガンス的抑制とのミスマッチが刺激的ですらある。 デンマークの女優Sidse Babett Knudsen(シセ・バベット・ クヌッセン) もナチュラルですてきだ。 主人公の二人と彼女の娘の女子高校生が同席するシーンがあるのだけれど、娘よりも大人の二人の方が高校生みたいにかわいいのだ。 娘の前で大人としてふるまおうとすればするほど、逆にまるで親の目を盗んでデートしている高校生、いや中学生みたいになる。 強面の裁判官とか職業意識の高い麻酔医とかは関係ない。 それがすごくリアルなのだけれど、若い人には伝わるのだろうか。 後からじわじわと幸福感が伝わってくる映画だった。
by mariastella
| 2015-12-08 04:11
| 映画
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