L'art de croire             竹下節子ブログ

ISと神とダライラマ

パリのテロ以来、ダライラマのインタビューやコメントがちらほらとフランス語のメディアに現れた。

ノーベル平和賞受賞者だし(まあオバマもだけど…)、宗教のリーダーで(普通のフランス人的には仏教におけるローマ法王的なVIPと思われているふしがある)、でも一神教じゃないから、無神論イデオロギーの左派ジャーナリズムからもコメントを頼まれやすい感じかも知れない。

でも、なんだか「 ?」と感じることがあった。

ひとつは、

「神に解決を期待したり神頼みをしたりしてはいけない、依存してはいけない。人間が自分で考えなくてはいけない」

というタイプのもの。

これは彼の日本語でのインタビュー本に

「神を信仰して、(神が)すべてを創造し、物事を決定するという考えは、その創造主に完全に依存してお り、それは、仏教的な観点からは、個人の持つ自信やプライド、創造力といった何かを成し遂げることの出来る力を失わせてしまうものである。」

とあるのと一致している。

確かに「個人の生死や救いも含めてすべては神の摂理で初めから決まっている」というタイプの考え方もあるけれど、基本的には、神は人間に自由意志を与えて創造したというのが一神教の合意である。

だからこそ、すでにエデンの園の昔から、たった一つの戒しかなかったのに、アダムとイヴはその禁断の実をわざわざ食べてしまったし、神はその後も大洪水を起こしたり、律法を与えて「契約関係」に持ち込んだりといろいろするのだが、まあほとんどすべて無駄だった、というのが一神教的な歴史認識だ。

まあそれでも神は「恵み」や「赦し」をくれるのだけれど、「神に依存して自信やプライド、創造力を失う」ほど人間はやわではないし、悪の力も半端ではない。

それに例えばフランスのような世俗理念の国では、テロの後でもアメリカのように「神よどうして?」という問いはなかったし、少しずれているなあと思った。

神に依存しているというか神を口実に勝手な自信やプライドを喧伝しているのがISのようなテロ組織だけれど、ダライラマはそれに対しても、

「あらゆるやり方で相手をリスペクトして相手の言うことに耳を傾け理解するという以外の道はない。」

(カリファ・イデオロギーを批判して)「イスラムは平和の宗教である、不寛容は自らの信仰や自らの同胞を害する」 でも

「ISとも対話しなくてはならない」

と言う。

しかし、ビルマで多数派の仏教徒たちがマイノリティのムスリムを弾圧していることについて意見を聞かれたら、それを弾劾し、

「私は彼らと接触がない、何びとも誰をも迫害してはならない」

と答えている。「対話」は?

うーん、弱者や少数者を力で制圧したり殺したりする狂信的な集団やあるいはそれを意識して組織し支配している指導者たちには、もう「対話」が通じないレベルがあるのではないだろうか。

もちろんだからといって彼らを力で粉砕するのでなく、それこそ経済封鎖するとか、資金ラインを断つとか、洗脳されたメンバーを取り返すとか、別の戦略が必要だろうが、

「相手をリスペクトして相手の言うことに耳を傾け理解する」

などと同じ地平に立っている場合ではない気がする。

ダライラマは、絶対神に依存する一神教と違って仏教では「即身成仏」、すなわち今生きているうちから仏陀のような素晴らしい存在になりたいと強く願うことこそが帰依の意味するところだと言うのだけれど、それは神が「超越」から「受肉」して人間になったキリストを主とするキリスト教でも同じで、キリストに倣い、キリストを通して神に一致するという考えがある。

キリストとまではいかなくても、キリストにならって生きた聖人たちにならって、聖人は死後称号だけれど、生きているうちから「即身成聖人」になるよう勧められる。

古今東西、人は自分の境遇、出会う災害や戦争、飢饉、病、苦しみ、不幸などを前に「理不尽」だとか「不当感」をいだき、それが怒りや自暴自棄になったりすることもあるのだけれど、まともな宗教なら、それを「前世の悪いカルマのせい」と言おうが「原罪のせい」だと言おうが、それらの試練を受容したり克服したりして「利他」の行につなげることで、「よりよい来世」だの「解脱」だの「天国行き」だの「永遠の命」だのを約束する。

それを目指して「聖人(聖人君子という意味ではない)行」や「菩薩行」が勧められるわけだ。

その「利他」の名のもとに「お前の罪を軽くするためだ」などと他者の生命財産自由を侵害する権利があるようにふるまうカルト宗教もあるので、そういうものには、「特に『自分ちの神』だの『教祖』だのの名をかたられて困る」老舗宗教のリーダーがきっちり対応してくれれば嬉しい。

確信犯的に他者の生命財産自由を侵害しているテロリストやそこへ組織的勧誘をするシステムに対して、別の地平に立つ宗教指導者がリスペクトとか言うのを報道するメディアはいったい誰のどういう期待に応えようとしているのだろうか。
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by mariastella | 2015-12-10 03:47 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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