L'art de croire             竹下節子ブログ

めでたさも 中くらいなり クリスマス、と吉野源三郎『人間への信頼』

いつの間にか12月下旬でもうすぐクリスマス。

「めでたさも 中くらいなり おらが春」という一茶の有名な句があるけれど
「めでたさも 中くらいなり クリスマス」という気分だ。

救世主の誕生ということでおめでたいはずだけれど、フランスではクリスマス・イヴの深夜ミサもクリスマスのミサも教会がテロの対象になるリスクが大きいということでいろいろ対策が語られていて、大晦日のシャンゼリゼの警戒と共に、なんだか引きこもっていたくなる。

唯一希望が持てるかなと思ったのは国連の安保理事会でシリアの内戦停止がようやく取り上げられたことくらいだけれど、ただのその場しのぎパフォーマンスだという人もたくさんいる。
でも、バシャールの名を敢えて出さなかったり、選挙が一年半後という先なのも、ある意味リアリティがある。
亡命中のシリア人にも選挙権が与えられるという取り決めが実現するとしたら、「民主的」に現政権が退陣して、今や何百万人にもなる亡命者が帰国することになれば理想的だ。

ても、私はついオスロ合意のことを思い出してしまう。あの時の「希望」の光はどこへ消えたのだろう。

ともかくシリア内戦にまつわる「国際社会」の政治枠が一応提示されたところで、後はテロリスト集団ISに占拠された地域を回復するのが国際合意ということになるのだろうけれど、これについても悲観的な思いがある。

最近ISでは、障碍を持って生まれた子供を殺すファトワが下されて、35人の赤ん坊が注射による安楽死、または窒息死で殺されたという報道を目にした。ISの子供戦略は将来のジハード戦士を育てるという明確なものだから、障碍児など生かしておく意味がないのだ。この話を聞いて、やはりISはひどい、ISによって人権を奪われている弱者を救わなければならないと悲憤にかられるのは当然なのだけれど…。

優生主義によって障碍者に不妊手術を施したり収容所に入れて抹殺してしまうというのはつい70年ほど前のヨーロッパでナチスがやっていたことだし、日本でも昔は障碍児どころか単に子供を育てきれないからと言って「間引き」していたのはよく知られている。子供に人権はなく親や大人の都合で殺されたり売られたりするという風習が古今東西存在することは明らかだ。

それだけではない。ISが占領地域のマイノリティのグループを見せしめのために残虐に処刑するというのは言語道断の非人間的なことだと思えるが、同じことを、ベトナムのアメリカ兵もナチスも南京の日本兵もやっていた。
このことを痛切に思い出したのは、最近1968年発行の筑摩書房の戦後日本思想体系4『平和の思想』というのを読み返したからだ。

その中の吉野源三郎の『人間への信頼』という一文を読んで、今さらながら、人間の普遍的な残虐の可能性に衝撃を受ける。

吉野源三郎は、『カラマーゾフの兄弟』で、トルコ兵が慰みに母親の目の前で赤ん坊を放り投げて銃剣で受け止めて殺したことへの絶望が語られていることを挙げて、ニュールンベルク国際裁判でナチスの突撃隊長がやはり子供ふたりを空中に投げ上げて撃ったという証言に言及する。
また、日本から中国へ補充されてきた新兵に度胸をつけさせるために、罪もない農民をつかまえてきて銃剣で刺殺されるような「教育」が行われていたともあるが、それはISによるジハディストの「教育」と何ら変わるところがない。

同じ本には、60年安保で亡くなった樺美智子さんやお母さんの手記、1967年の羽田闘争で亡くなった山崎博昭さんやお兄さんの手記から、佐藤首相のベトナム戦争支援に抗議して焼身自殺した由比忠之進の抗議文や遺書まで載っていて、記憶を揺さぶられた。
あの頃までは、第二次大戦から得た教訓とベトナムで起こっていることを正しく関係づけてアクションを起こすという流れがあったのだなあ。

明治以来、軍国主義と国家神道に対する知識人によるレジスタンスの思想としてキリスト教と共産主義が両輪をなしていたことにもあらためて気づかされる。
その二つは、神と無神論という点では対極にあるように見えるけれど、国家や民族の枠を超えた「普遍主義」による国際的な連帯の扉を国際社会に新規参入した日本にも開いていたということで、新しい可能性を見せてくれていたわけだろう。

もうひとつ、吉野源三郎の言っていることではっとさせられるのは、

「戦争は日本人の連帯の意識を恐ろしいほど掘りくずしてしまっていました。」

という部分だ。

つまり、国家や軍人が「滅私奉公」を叫べば叫ぶほど、そして国民の私的利害を無視した政策を実行すればするほど、国民は自分で自分の私生活の利害を守らなくてはならなくなった。

生産も流通も国民の私経済そっちのけなので国民はいやおうなしに自分の生活を心配し、ひそかに食料の買い出しに出かけたり、破れた靴下の代わりをさがしに歩いたり、防空壕を自分で掘ったりすることに時間を取られていた。

いよいよ空襲が始まると、数百万の都市の住民は、わずかな家財や衣類を守るために疎開に狂奔し、戦争の成り行きなどかまっていられないかのようだった。私的利害への考慮が、公共のことへの関心をのみつくしてしまったといってもよいありさまだった。

戦争は、一億一心の強力を要求しながら、逆に国民同士の人間らしい連帯をズタズタに断ち切ってしまった。

なるほど。

実感がある。

今の私たちは、なんだか、強い国だとか戦争だとかを鼓舞されると、「あの軍国主義の時代のように思考停止でみなが一丸となってナショナリズムに突き進む」のではないかというイメージがあるけれど、国に守ってもらえない国民は内向きになってサヴァイヴァルに奔走する方が圧倒的に多数なのだろう。

子供の頃に戦時教育を受けたなら「滅私奉公」に洗脳されていた場合もあるだろうが、大人は自衛のエゴイズムにはしる。

個別の抵抗ではなく自己犠牲もいとわないレジスタンスが組織されて政治的に有効な力となるには、また別の思想による養いが必要なのだ。

そう思うと、60年代終わり、戦後復興を遂げて衣食足るようになった時代の日本人がベトナム戦争の反戦運動にあれほどコミットしたことは、決して一時的な学生の祭りではなく、吉野源三郎らの平和の思想を基盤に展開された「実り」のひとつの形だったのだと分かる。

それに対して、この夏の反「安保法案」の運動では、リタイアした68年の全共闘世代とSEALDsなど「今時のおしゃれな学生」が共闘したというシーンが見られたけれど、なんだか、68年の「平和の思想」の糸が切れたまま漂っているような気がしてきた。

キリスト教と共産党へのアレルギーの残滓だけはそこかしこに見えるのは気のせいなのだろうか。
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by mariastella | 2015-12-22 03:03 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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