フランスでは、11月のテロの後、クリスマス・プレゼント用の子供のおもちゃ売り場から実物と似たタイプの拳銃や機関銃や短剣などのおもちゃが姿を消した。
強制というわけではないが、多くの大手スーパーや玩具店が自主規制してひっこめたようだ。
町で出会う人を撃つというタイプのゲームも回収された。
ゲームのことは分からないが、怪獣やモンスターを倒すゲームではなくて非武装の普通の人を撃つようなゲームに子供たちが熱中するのが「不健全」なのは確かだろう。
でもピストルの類はどうなのだろう。
アメリカのように子供に本物の銃をプレゼントして射撃場に連れ出すなどというのは論外として、おもちゃの武器を排除したからといってテロリスト予備軍の数を減らせるものだろうか。
親がイデオロギー的無神論で宗教を厳密に排除して子育てをした家庭から、親に反発する形で宗教やカルトに出会って免疫がない分取り込まれてしまう若者がいる。
ある程度いい加減な宗教性だの迷信の中で育った子供の方が批判精神を発揮したり別の道を模索したりするのが容易な気がする。
それと同じように、完全な非暴力主義で武器を嫌悪して隠すタイプの親や共同体の中で育った子供は、武器に対する免疫がなくて、かえって魅力を感じてしまうかもしれない。
もちろんある種のサディズムのような倒錯傾向がある子供はいるもので、そういう人は、おもちゃの武器があろうとなかろうと何らかの機会にそれが覚醒するだろうし、武器のおもちゃを与えていないからと親が安心して危険な倒錯の兆候を見逃す方が心配かもしれない。
一方「普通の子供」は、武器を持って遊んだからといって戦争好きになるわけではないと思う。
というのは私自身が、小さいころから兄といっしょに刀やピストルでいつも遊んでいたからだ。
それは別に暴力がどうとかではなくて、時代劇やら西部劇の真似事だったわけだけれど、その後は普通に、というか普通以上に臆病で暴力嫌いの人間になった。
ピストル自体が魅力的だと思ったことはなく、ベルトからさっと取り出してくるりと回して構えるとかの早撃ちなどに興味があった。
スポーツとしてアーチェリーをやっていた時期もあったけれど、矢を放って的を射るという行為にそれ以上の感覚を抱いたこともない。
水鉄砲だとか、連続して音や光の出る機関銃風のおもちゃやレーザー銃風のおもちゃの購入にも忌避感を抱いたことはない。
おもちゃ売り場の棚から武器類をすべて取り去るところや、子供が銃のおもちゃを自主的に返却したら代わりにパズルのおもちゃをもらえるというシステムなどもテレビで紹介されていたけれど、なんだか目先のごまかしのような印象を受けたのは私だけなのだろうか…