L'art de croire             竹下節子ブログ

ケニアの救われる話と特別聖年

12/21の早朝、ケニアでバスがイスラム過激派に襲われた。
危険地域なのでポリスが併送していたのにポリスの車が途中でエンストしてしまったらしい。

日本語で検索したらこういうのがあった

キリスト教徒だけを殺すから離れるようにと言われたムスリムの乗客たちは

「全員を殺すか立ち去るかだ」

とテロリストに言ったそうだ。
イスラムスカーフを被っていた女性たちもとっさにそれを外して、キリスト教徒と区別がつかないようにしたという。
まあこれでテロリストが感動して去ったわけではなく、数名の犠牲者も出たのだけれど、テロリストたちが他の車が来たのをポリスだと勘違いしてあわてて去ったというのも、動揺していたからだと言える。

日本ではまさかと思うかもしれないけれど、これには明らかに11月にフランシスコ教皇がナイロビで

「我々の共通の信念は、我々が仕えようとしている神が平和の神であるということです」

と熱く語ったことと無縁ではない。

ケニアでは去年の11月にもバスの襲撃があり、今年の5月にも同様のテロがあった。
キリスト教徒が選択的に殺された。

今回は何かが変わった。

教皇は11月末の公開ミサの前にイスラムの代表者とも会見している。
テロが怖くてミサに参加しない人も多かったが、集まった人々の間では、教皇の言葉の前で深い静けさが生まれたという。

1985年と1995年にヨハネ=パウロ二世が来た時のメッセージがいまひとつ理解できなかったというケニアの人も、今のケニアの情況の中で教皇の和解と平和のメッセージが心に響くと語っていた。

フランシスコ教皇が中央アフリカで「慈しみの特別聖年」の扉をヴァティカンに先駆けて一足早く開いたことも含めて、今さら教皇の思いが伝わる。

カトリックの聖年といえば今は25年ごとなので次は2025年なのだけれど、80歳になった教皇は自分の元気なうちにこの赦しと平和の呼びかけをどうしてもしたくて、その悲願が特別聖年という形をとったのだ。

この聖年のイコンとなるのが先日「奇跡」が認定されて来年9/4に列聖式が決まったマザー・テレサだ。

彼女はいわゆる「布教活動」とは無縁で、路上に出て、死に行く人や捨てられた赤ん坊を見つけては招き入れてケアをした。今の教皇が強調する「慈しみ」のイメージは彼女のそういう生き方なのだろう。

神を見失った、といわゆる「信仰の夜」の中にあってもマザー・テレサの生き方は変わらなかった。
「聖女になりたい」といつも言っていた。

私が日本に住んでいる無宗教の日本人だったらこの聖年のうちにカトリック教会に行ってマザー・テレサの列聖日に洗礼を受けたくなるくらいだ。「ご利益」はもうすでに与えられている、という気がする。
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by mariastella | 2015-12-25 00:23 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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