L'art de croire             竹下節子ブログ

河瀬直美監督の「あん」

河瀬直美監督の「あん」を見た。

フランスにはあずき餡の好きな人も多いのでこちらのタイトルは『東京の美味Les Délices de Tokyo』となっていて、餡ってこうやって作るんだーという文化体験に惹かれた人も多い。

興味深かったけれどなぜか満足感は得られなかった。

世代も世界も異なる孤独な3人が心を通わせるというきちんと作りこみやすいストーリーの上に、

カメラワークが美しく、
エコロジー風味、グルメ風味、小津風味、そして生きづらさに対処する人生観、
孤独な3人に共通するのは母親との別れや母親との齟齬、

これだけ普遍的なあれこれがあって、樹木希林などみな演技もすばらしいし、禁欲的な主人公が感極まって涙するというシーンさえあるのに、この涙もろい私がまったく心を動かされなかったのは不可解なくらいだ。

ほころびかなさすぎるというのも一つだろう。

淡々としているように見えて実は言葉が多すぎる。

それでいて、何かが内部から崩壊するとか内部で爆発するとかいうような粘力がない。

河瀬監督の得意なカンヌ映画祭向きの材料は全部そろっていて、フランスでもそれを期待する人々にはきっちり評価されたけれど、期待されるすばらしさ以上のもの、あるいはそれ以外のもの(破綻を含めて)が見えてこないことで、この映画と醒めた関係しか築けなかった人たちもいる。

私もその一人なのだろう。

単にハンセン氏病患者の前世紀までの日本での扱いの実態を知って驚いたフランス人もいた。

ハンセン氏病を含む皮膚病は外見を損ねることも多いらから古今東西、患者は病気だけではなく社会的な犠牲者でもあった。伝染性であるものもそうでないものも、皮膚疾患というのは隠すのに限界があるし、日常生活で人と人の接触は主として「手」を介して行われるから、「手」の外見の異常は人に忌避感を起こさせやすいし、「伝染する」という恐れを抱かせる。

キリスト教ではナザレのイエスの頃から、このハンセン氏病系の皮膚病で社会から差別されている人への積極的な支援があった。

安土桃山時代に日本に来た宣教師たちは日本では彼らへの福祉がないことを知り、だからこそ、自由に活動できる部分だったので、各地で彼らを世話し始めカトリック大名の支援を受けて病院までつくった。キリスト教のことはあやしむ為政者たちも、その活動に驚いて、リスペクトのコメントを記している。実際ハンセン氏病の人たちの多くがカトリックの洗礼を受けて、高山右近と共にルソンに追放された人たちもいる。

高山右近は最近殉教者として認められて列福が決まったのでいろいろ検索できる。

上意下達が基本の日本なので大名から改宗させるというのは宣教者の戦略ではあったけれど、ハンセン氏病患者を改宗させるというのは「戦略」外のことで、ましてや貿易上、外交上の利点があるわけではないので、純粋にキリスト教基本マニュアルに従ったものだったと考えられる。

キリスト教もヨーロッパで王権と結びついて政治や利権の道具となってきたことはお約束の展開だったが、特に独身(つまり子孫に利権や財を残すという誘惑のない)の修道士や司祭からなる修道会の活動の中では、「社会的弱者の無条件救済」という脊髄反射が温存されていたのだ。

そしてそれが凡人の共同体にとってあるいは為政者にとっていかに「不都合」であっても、福音書のメッセージの根幹であることは否定できないので少なくとも大声で公に批判されることはなかった。

この伝統は今も、基本的にすべての難民を受け入れろ、と言い、障碍者を本気で抱きしめるフランシスコ教皇の姿に受け継がれている。

難民歓迎と言うメルケル首相を批判することはできても、フランシスコ教皇の行為をスタンド・プレーだと言うのはナザレのイエスの行動を批判するのに通じるので脱キリスト教化が進む欧米でさえ抑止力が働くのだ。

まあその観点からいうと、『あん』の最後に、徳江さんが、料理のための道具を主人公に遺したこと、それを基に主人公が人生をリセットして笑みを取り戻すラストシーンは、「犠牲によって他を生かす」というキリスト教テーマに着地しているのかもしれない。

この世で自分のなりたいものになれなかったり人の役に立てなかったりしても、いろいろな形での「寄り添い」が、いつかどこかで何かの形で誰かを生かすことにつながるのだ、という示唆がある。

簡単に感動させられてカタルシスをもらえる映画でならあまり考えなくてもすむことを考えさせられたという意味では、この映画に感謝する。
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by mariastella | 2016-02-24 20:55 | 映画
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