L'art de croire             竹下節子ブログ

『A perdre la raison』(ヨアキム・ラフォス監督映画)

ニルス・アレストリュプとタアール・アイムという絶妙の疑似父子というか子弟タイプのカップルに、『ロゼッタ』のエミリー・ドゥケンヌが三つ巴で演じる実在の事件を基にした映画。

配役に惹かれてTVで何となく見始めたらやめられなくなった。

ほとんど心理戦だけなのに、ある意味で、ものすごく怖い。

エミリー・ドゥケンヌも、なんだかロゼッタのやりきれなさと二重写しになる。不幸過ぎ。ベルギーの社会派映画ってやりきれなくなるものがある。

スカルラッティが流れているのも暗示的だ。

ニルスの演じる「父」アンドレは、裕福な開業医で、職住接近、充実した暮らし、モロッコのある家族を助けるためにそこの娘と偽装結婚し、息子の一人をベルギーに引き取って育てた。
その息子ムニールは明るい青年になったけれど、勉強は今一つ。
でも長く付き合っている女性ミュリエルと結婚を決意する。
独立して居を構える資金はない。

アンドレは、自分の医院の受付助手の職をアンドレに提供、新婚旅行もプレゼント(二人はアンドレも同行する条件でその好意を受ける)し、自宅に彼らを同居させる。

ミュリエルは金髪の白人だが、いわゆる「アラブ系」のムニールとの結婚に文化的障害を感じていない。

若くて幸せそうなカップル。
ミュリエルには小学校のフランス語教師というちゃんとした職もある。

ところが、彼女は次々と三人の娘を出産することになる。

その娘たちの世話にもアンドレは協力的だ。

しかし、この、子供が増えていく、という「幸せ」なことがだんだんとミュリエルの軛となっていく。

しかも女の子ばかり。

誰も何も言わないが、彼女が4人目を妊娠した時にアンドレが

「今度は男の子を生むようにするんだな」

とひとこというのがずしんと響いて、冷ややかな何かが心に刺さる。

4人目は待望の男の子で、ムニールが「これは僕の息子」と嬉しそうに抱き上げるのも、なんだか彼の出身のムスリム家庭の差別意識を彷彿とさせる。

一つ一つはこれというインパクトはない。

しかし、子供が増えれば増えるほどアンドレに依存していくような状況がミュリエルに耐えがたくなることが分かる。

4人目は中絶するかどうか迷ったほど精神状態が悪くなる。

広い家、自分たちの家に引っ越したい。

ミュリエルの危機を見てとったアンドレは主治医として精神科医(心理療法士?)に紹介状を書き、ミュリエルは休職して休養し、カウンセラーを受ける。

彼女の希望通り庭のある広い快適な家も買う。
しかも、若夫婦の名義で。

その資金は、アンドレがそこの同居人としての15年分の家賃を前払いするという形でつじつまを合わせる。

けれども、物質的な条件が整えば整うほど、ミュリエルの心は壊れていく。

この「転落」の恐ろしさには、ゾラの『居酒屋』を連想してしまった。

人の心が崩壊するのには、戦争や暴力や貧困や不治の病が必要だというわけではない。

平和な国に住み、快適な住居があり、安定した仕事があり、愛し合う夫がいて子宝にも恵まれる。

それを提供してくれるゴッドファーザー的な男は、親切で穏やかで、その富も人を騙したり搾取したりして築いたものではない。医師という人助けの仕事をして得たものだ。

モロッコにいるムニールの家族とも親しく付き合っている。

そのすべてが裏目に出る。

心に抱えた不全感、疚しさなどが自己不信を招く。

でも、快適な暮らしを捨てられない。

画面で血が一滴も流れなくても、ホラーのようなシーンがある。

うーん、人は、足らないものがあり、不満があり、敗北感や被害感情を持つ時に、「不幸の原因」を、親だの社会だの、時代だの、共同体だの、運命だの、前世だの、悪魔だの、何でもいいから「自分以外のもの」に押し付けて「悪」を「外化」し、恨み、罵倒し、否定し、捨て去ることで立ち直るようにできているのかもしれない。

それができない時、、意志が委縮し、心が壊れ、そして、最期に、理性を失う。

ミュリエルは4人の子を下の子から順番に次々と切り殺す。

自分も死のうとするが死にきれない。

実際の事件では子供は5人だったそうだ。
母親は終身刑となり今も服役している。

映画の冒頭に、病院のベッドの上で「子供たちをモロッコに埋葬してくれ」と息も絶え絶えにムニールに頼むミュリエルの姿が映し出されている。
モロッコでムニールの家族たちと過ごしたバカンスの思い出は、途上国の庶民の生命力や逞しさの記憶として刻まれたのだろう。

病室を出たムニールは部屋の外にいるアンドレと抱き合う。

この「親子」、その後また結構仲良く人生をリセットしてやっていくんではないだろうか。

モデルになった医師は映画化に抗議したそうだ。

よく考えると、最初からいびつなところはある。

アンドレが独身のまま人道的な偽装結婚をしたり養子をとったりすること自体がある種の「権力の行使」とも考えられる。

あらゆる点で「優位にある者」から一方的に与えられる「いつくしみ」は、一つ間違えれば単純な悪意よりも人を傷つけることがある。

そして、定職を持つ女性が「子供を次々と生む」ことの実存的プレッシャーの深刻さ。

名優たちの鬼気迫る名演によってできた名作の残す、この後味の悪さ。

このタイプの「不幸」に普遍性があることによって認めざるを得ない人間の業の深さ。

無傷では出てこれない映画だった。
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by mariastella | 2016-03-08 00:20 | 映画
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