L'art de croire             竹下節子ブログ

イエスの聖上衣の公開と復活祭

日本のカトリック教会ではもう復活徹夜祭が終わっています。

フランスは今年、めずらしく、この復活祭の夜が、夏時間への移行と一致していて、パリは曇り空ですがこれでぐんと昼の時間が長くなります。

今年の復活祭は、聖遺物フリークの私には特別です。

サンラザールから10分少しで行けるArgenteuilのバジリカで、イエスの上衣の聖遺物が2週間だけ公開されるからです。本来なら次の公開は2034年だったのですが。

宗教に関係なく個人でも無料で見学できます。でも、他の有名な聖堂と違って、いわゆる観光ルートに入っていないばかりか、あたりはいわゆる「アラブ街」になっていて、今回のテロの後も、いろいろ捜索が入っている町なので、セキュリティ強化はされているようですが、「普通の人」には敷居が高いかも。

西暦800年にシャルルマーニュがコンスタンティノープルから持ってきてこの町に渡されてからずっと動いていないという点で、宗教戦争やフランス革命を生き延びただけでも、「奇跡」の聖遺物です。

この前の公開の時(1984, 2000)もいろいろな資料を漁りましたが、トリノの聖骸布との血痕の場所の一致も含め、中世の聖遺物の中では「偽物性」が確定していないというだけでも独特の位置を占めています。

聖母マリアが作ったもので、縫い目がないとか一枚布というのは確認されているそうですが、イエスの成長につれて大きくなったとかいう伝説の方はどう考えてもあやしいと思います(小さな声)が、刑死した当時すでに一部の支持者からはメシア扱いされていたイエスですから、記念になる服などをとっておこうとした人がいるのは不思議ではありません。

私が聖遺物(釈迦の真骨なども含めて)好きなのは、フェティシズムのせいではなくて、フェティシズムが信仰の中で占める場所、機能、人々と聖なるものとの関係性、などにすごく興味があるからです。

今年は「慈しみの特別聖年」で、アルジャントゥーユのバジリカももちろん全免償の対象になる巡礼指定で「聖年の扉」があるので行ってきます。

全免償といっても、「免」と「償」は厳密にいうと別で、先(後でもOK。3週間有効? と言われることもある)に「免」にあたる「ゆるし」の秘跡が必要で、それから「償い」としての巡礼とか祈りとかがセットになっているわけです。

私は、まるで人生のスパイスであるかのようにつまらないことにはいじいじと罪悪感が多いくせに、では、「ゆるし」がないと苦しいとか、「ゆるし」を受けたら楽になるというタイプの罪悪感が希薄なのですが、「ゆるす」のも「ゆるされる」のも大好きです。

「ゆるされる」方が好きかな。
「ゆるされる」と「ゆるす」喜びも分かります。

いわゆる「願」をかけたり、神仏の加護を真剣に祈ったりするには、私より真剣な人が明らかに多いので、信仰の場所で自分や自分に近い人のことのために祈ることは形式以上にはしません。
個人的なそういう「お願い」みたいなのは亡くなった両親などに頼ってしまうタイプです

で、せっかく「いつくしみの聖年」、キリスト教世界で最もメジャーな聖遺物のひとつであるイエスの聖上衣の巡礼と復活祭とを最大限に楽しむために、ちゃんと「告解」にも行きました。

告解司祭さんとの間でついお話がはずんでしまいましたが「すべての罪をゆるします」って言われるのは気持ちいいです。
欝々としている人や葛藤のある人で心理療法や精神分析に頼れない時代の人が、「近所の教会」で何でも話して「ゆるされる」というのはなかなかすばらしい場合もあったと思います。
無料だし、他の人の悪口や愚痴や恨みからでなく、そういう自分の思いへの罪悪感からアプローチした上で「ゆるされる」というのは悪くないかも。

まあ、罪悪感の薄い人から無理やり「懺悔」を誘導する司祭もいたでしょうし、また、フランス国王たちのように、年がら年中「不倫」とかしていても、復活祭の前に一度だけ告解してリセットしてしまうことで罪悪感ゼロの人も多かったので「偽善」の温床になるなど、いろいろなケースがあったのはもちろんです。

薬や治療や健康法と同じで体質や出会いやメンタルによって意味も効果も違ってくるのでしょうが。

ただ、神の愛は無限だから「ゆるされない罪は存在しない」はずなのですが、昨今の司祭による子供への性的虐待スキャンダルについては教皇は「ゆるされない」と断定しています。

「償えない」って意味でしょうか。

小児虐待をした親や司祭から告解を受けたら告解司祭は「ゆるさない」とは言えないのではないか、とも思いますが、フランスでも、1992年から、15歳未満の子供への性的ハラスメントなどについては「告解の秘密」が適用されない、となったそうですから、そしたら、罪悪感を持っていてもそんなことを告白する人もいなくなったかもしれないなあ、などと考え中です。

前教皇のベネディクト16世が蝋燭が消えるように亡くなりつつある、と昨日からずっとニュースが流れています。

聖金曜日に亡くなりたいというか、聖金曜日までは持ち堪える、というのではないか、と新たなニュースを見るのが心配なままこれを書いています。私は彼のファンでした。
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by mariastella | 2016-03-26 23:45 | 宗教
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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