L'art de croire             竹下節子ブログ

黒田清輝展

国立博物館で開催中の黒田清輝展の鑑賞券をいただいたので先日ゴールデンウィークの上野公園に出かけた。

動物園を目指す親子連れがいっぱいで、そのいかにも行楽という賑わいは、やはり日本は、地震はともかくテロのリスクは低いし実感もされていない平和な国なんだなあと思う。

黒田清輝は日本の洋画の父という教科書的なイメージしかなかったけれど、今回いろいろな事情を知って、日本とフランスの関係について多くの示唆を得た。

私はもうずっと前に上田市に住む彫刻家の友人経由の依頼で、山本鼎のパリ時代について調べたことがある。版画職人から1901年に東京美術学校に入り、1912年から16年までパリに滞在した。リアリズムを経て、自由画運動を提唱、晩年になって「絵が下手」状態になっていく過程は興味深いものだった。

それとは別に、明治の挿絵画家(漱石の挿絵などでも有名)である岡本月村の子孫の方から、彼が南画の習得法である徹底的な形態模写によって驚異的な速さの正確なデッサン力を獲得していったのがわかる貴重な資料をいただいたことがある。
月村は、日本画の後、浅井忠に洋画を学び、新聞社で働き、日露戦争の従軍画家となった。パリ万博の詳細なデッサンもある。この人についても、上村松園の弟子であったその娘さんの証言も含めて調べたことがあり、デッサン力というものの日本画と洋画の違いを考えたことがある。

で、黒田清輝(1866生)は、この二人に先行する。月村は10年後の76年生まれ、山本鼎は82年生まれだ。また黒田は月村の前、フランスの新聞の特派員として日清戦争の従軍画家となっているのだ。この対比が非常におもしろい。

黒田清輝の特色は、

もともと法学を学ぶために留学した貴族の嗣子で、「お国のため」という意識と責任感はずっとあったこと(そのために、画家としてのキャリアを犠牲にしても日本の洋画教育の基礎を造った)、

だからいわゆる苦学生ではなかったが、自分の進路変更を含めて、実家の養父母に多くの手紙を残していること、だから公文書とともに私文書もたくさん残していること、

洋画を志した日本人がフランスに憧れたというのではなく、フランスで本当の意味で西洋画に出会い、日本人画家としてフランスでも名を成さなければ意味がないという意識があったこと、

法学の勉強が目的なのでフランス滞在最初の頃に徹底的にフランス語を学んだこと、

などいろいろある。

特に、最初にフランス語とラテン語を徹底的に学んだことの意味は大きい。
その後16区にある名門のリセにも行っている。

今も昔も、何年、何十年とフランスに滞在してもフランス語を使いこなせない「芸術家」は少なくない。

しかし、文化とは、特にフランス文化とは、フランス語を抜きにしては考えられない。18歳から27歳、9年余のフランス生活の中で、彼はフランス語を日常的に「読んだ」。
フランス文学も愛読した。フランスのエリートとしての教養があった。

彼の作品にはラテン語で年代表記したものがあり、自分の名もヘボン式ではなくフランス人にきっちり発音してもらえるように 「Seyki Kouroda」などと書いたりという工夫の跡がある。

彼の過ごしたパリやフォンテーヌブローの南の川やブルターニュが私のよく知っている場所だということも親近感を覚える。

フランスに滞在する時、「フランス語が自由に読める」ということの意味は本当に大きい。
いわゆる日常生活に不便がないとか、フランス人の友人と不便なくしゃべれるといったこととは別の次元の「文化」は、しかるべきものを「読む」(訳すのではない)ことによってのみ養われる。
それがある人とない人とには国籍を問わない断絶があるし、「読める」人には国籍どころか時代も超えて共有するものがある。

その意味で、黒田清輝は、他の「画学生」と一線を画しているし、フランスにおける芸術家としての「戦略」も全く違う。

しかし、同時に、彼が日本に伝えようとした「西洋画」のアカデミズムがなかなか理解してもらえなかったように、「言語」を介さない美術、絵画においてさえ東西の文化がこれほど隔絶しているという現実を見ると、言語を使う文学や哲学を翻訳という手続きを経て理解したり受容したりすることの難しさを考えずにはおられない。

黒田清輝の女性の好みもおもしろい。フランスでの恋人マリア・ビヨーのタイプは、のちの夫人の照子さんと似ている。
照子さんも、『智・感・情』のモデルになった女性も、雰囲気が似ていて、しかも、いわゆるハーフの女性にみられるタイプの一つだ。マリアは日本風で、照子夫人はハーフ風だ。

面白いのは展覧会の図録の解説の中で、日本人女性の理想のプロポーションを提示した『智・感・情』の絵について、宮沢りえさんの写真集『サンタフェ』を見てついに理想のプロポーションそのままの女性が日本で生まれた、とあったのだけれど、彼女もハーフであり、マリアや輝子さん型の雰囲気のハーフ女性だということだ。

『智・感・情』の感については、Impression、智がideal、情がrealだと黒田清輝は言っていたそうだけれど、多分フランス語で考えていたという気がするので、それならば、インプット、理想、そして現実、というイメージかもしれない。そう考えるとこの絵がなんとなくわかる気がする。

黒田は最初にフランスに渡ってから40年ほど後で亡くなっている。

異文化との出会いから40年、自国も異国も変化するという長いスパンを私自身も振り返ることで見えてくるものが多いのでいろいろなことを考えさせられた。

日本でバロック音楽を始めてからフランスに渡ったというのではなくフランスでフランス・バロックに出会って根を降ろしたという自分のたどった道が日本の音楽家と違うことでも、黒田の気持ちに共通するものがある。
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by mariastella | 2016-05-03 21:21 | アート
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