L'art de croire             竹下節子ブログ

ライシテと「原罪」

カトリーヌ・キンツレールと言えば、ラモー好きの音楽家にとっては特別の人だ。

ラモーを研究し始めた最初の頃からの一番信頼のおける著者なのだが、彼女はフランスの政教分離(ライシテ)の専門家でもある哲学者だ。

最近読んだ彼女のライシテとイスラムについての記事は、マルセル・ゴーシェなどの反対の路線で、とても分かりやすかった。全面的に賛成だ。

ライシテには二つの原理がある。

一つは、政権担当者とそれに連なる機能を行使している者(公務員など)は、いかなる宗教も特別扱いしてはならないということで、
もう一つは、それ以外の一般市民は信教の自由を「信じないこと」も含めて自由に生きることができることだ。

だから、政府との対話に特化した宗教の代表を立てることは(ナポレオンが始めた管理法だが)ライシテに反しているし、そこにおける調整で、どの宗教もみんな平等にとか、モスク建設の援助をするなどもってのほかである。

一方、各宗教者や信徒がそれぞれの実践を公的な場所で行うのは自由であり、その安全は守られなくてはならない。

ただし、過激派のイマムがテロを煽動する、ヘイト・スピーチや差別的言辞があるなど、反社会的、反共和国的な言動や実践があった時は、1905年法によって十分とりしまることができるし、対処しなければならない。

それだけの話だ。

とても明快なので、いつもながらの「猫との生活」への適用で考えてみた。

異種共生とか、ハンディキャップの問題とか、生産性とか老いとか病とかを考える時、いつも「猫たちを愛して共に生きることで救われている」日常によってインスパイアされているからだ。

自分の子供なら障碍があったり、自立できなかったりなどの問題はつらいだろうけれど、猫なら一生面倒を見なくてはならないのにそれが重荷だとは思えず、それぞれのあり方に応じて楽しく共生できることの実感は、貴重なものだ。
多頭飼いというのも重要ポイントだ。
それぞれに違うし、互いに仲の悪い猫もいる。

私は犬を飼ったこともあるので犬との関係性も容易に想像できる。

で、年齢も種類も異なる犬数匹、年齢も性格も異なる猫数匹と暮らしているのを想像する。

私は「政権担当者」だ。

だから絶対に彼らを「差別」しない。
平等に扱う。
(犬は実はフランス型の「統合政策」に向いている。こちらの価値観、習慣、要求に合わせて「飼いならす」ことができる。)
でも、そこはライシテ、犬も猫も、それぞれの特質を無理に変えることはできない。
命令に従えない猫もリスペクトする。

けれども、たとえば電気のコードを齧るなど、共同生活にとって絶対脅威になることや彼らの一員の命の脅威になるような行為は取り締まるし、予防の対策もたてる。
それ以外は基本的には最大限に自由にさせる。

政権担当者の最も大切な仕事は彼らの「快適な生活」の保証のために「奉仕」することである。

「公僕」というやつだ。

うむ、納得できる。

では難民問題は?

突然動物愛顧センターから、虐待された犬や猫を引き取ってくれと頼まれる。あるいは自宅の庭に捨てられた猫や傷ついた猫が迷い込む。

出来ることなら「我が家の子」として迎え入れてあげたい。

少なくとも、里親としてとりあえずの安全を確保して世話をしてやりたい。

でも、うちにそんな余裕があるだろうか?

先住の犬猫にストレスや伝染病や寄生虫をもたらすのではないか。
隔離して世話するキャパシティが自分や住まいにあるだろうか。

うーん、そこはやはり、情動だけで受け入れるのではなく、何が本当にできるのか冷静に考えなくてはいけない。
愛護センターに寄付するとか、里親のネットワークづくりをするとかの方法もある。

ああ、しかし、犬猫の他に、血を分けた人間の幼児とかも一緒に暮らしていたらどうなるだろうか。

やっぱり「自分の子が別格一番」、と血縁で優先順位をつけたり、見た目で動物種差別をしたりするのだろうか。差別しない自信がない。

極右の煽動に賛同してしまう人の心理もなんとなく分かる気がする。

と、ここまで、天下国家のことを「自分ち」スケールに落とし込んでシミュレーションしていたのだが‥‥。

テロ対策や侵略戦争などのことにまで仮定が広がると、「シミュレーション、無理」という壁に突き当たった。

さまざまな障碍や、見た目の違いや、老いや病気の問題や、それぞれが違っても快適に生きる権利、などというテーマなら十分に展開できるのだけれど、テロは無理だ。

犬も猫も、善良すぎる。
虐待されて人間不信になったり、互いの相性の良し悪しとかはあったりしても、「憎しみ」や「悪意」はない。

それらのもとになる「絶望」もない。

なぜ、人間だけが動物として変な方向に倒錯しているのだろう。

ひょっとしてこれが、「原罪」というやつなのだろうか。

というわけで、犬猫との共生をイメージしたマイ・「ライシテ教室」は、自分の中で早々と閉じてしまった。002.gif
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by mariastella | 2016-05-20 00:27 |
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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