L'art de croire             竹下節子ブログ

広島の米大統領と日本の首相、ヴェルダンの独首相と仏大統領

5月29日、100年前の第一次大戦で独仏の悲惨な戦場となったヴェルダンで記念式典があった。

この地には20万発の砲弾が撃ち込まれ(1㎡に6発)、30万人の兵士が命を落とし(その中にシャルル・ペギーも入っている)、森が完全に破壊されて姿を消したという。

独仏兵士の無数の墓標が立ち並んだ前で、オランド大統領とメルケル首相が向き合った。

独仏はこの戦いの後に相手をリスペクトした対等な和解に至らなかったため、大戦の終結後20年も経たずに次の世界大戦に突入してしまったのだ。

そのような過ちを二度と繰り返さないためには、100年前の戦いにまでさかのぼって和解しなくてはならない。

この写真でハグしあう二人の姿は、もちろん政治的であり広報のためであるのだが、この2人、どちらも老練の政治家でありながら、寄り添う時はなんだか、かわいいというか、素直な善意が表面に出てくるのは不思議だ。

ヨーロッパは問題ばかり抱えているし危機的だしメルケルの強権ぶりも周知のことで、多少のパフォーマンスをしたところで「世界の平和」どころかヨーロッパの危機脱出も望めない。

それでもこういう「なごむ」絵柄になるのは二人のキャラなのだろうか。複雑な気分だ。

ヴェルダンの記念式典でもう一ついいなと思ったのは、その前日の28日にドイツとフランスの高校生たちがやってきて、現場で過去の戦争を想起しながら、意見を交換するなど共に過ごすという企画が実現したことだ。

ヴェルダンは今も、そのまま記念の地として残されていて、いまだに特定されなかったり発見されていなかったりする遺骨や遺品がある。

こういう土地では、まさにまだ「戦争が終わっていない」ので、高校生たちにはそれが見えたり聞こえたり感じたりするのだと思う。

実際そう語る高校生もいた。

こういう若い世代がこの土地でショックを受けながらも共に過ごして、これからの平和を肝に銘じるというのは本当に必要なことだ。

もう当時の兵士の生き残りなどは生存していないけれど、若者たちが集うことこそ、希望の光を灯してくれる。

それに対して、そのまた前日の27日、フランスのテレビでも、オバマ大統領が安倍首相と共に広島を訪れた映像が流されたのだが、そのような「希望」の光は気配ほども感じられなかった。

そして広島での「原爆実験」が「終戦を早めるための戦略として成功」した後での「長崎」への攻撃はどう位置づけるのだとの不全感もおぼえる。「ウラン型とプルトニウム型の両方の実験が必要だった」とはもちろん口にされない。
それこそアメリカの高校生と広島、長崎のの高校生が交流する場などが設けられていたら別だったかもしれない。


オバマ大統領が高齢の被爆者を抱き寄せる図柄
にも違和感を覚えた。

スポーツマンタイプの外見で背も高いオバマが誰と並んでも文字通り「上から目線」になってしまうのはしょうがないとしても、あの構図では、キリスト教文化圏の国から見るとまるで「放蕩息子を優しく迎える慈愛の父親」みたいに見える。

たとえ謝罪の「言葉」は政治的配慮から発しないとしても、現職のアメリカ大統領が心から「核兵器」の脅威に惧れをなし核廃絶を誓う一人の小さな人間として被爆者の前に跪いたとしたら、そして高齢の被爆者の方が大統領を抱き寄せるという構図になっていたとしたら、人間の尊厳の崇高さに感動させられたかもしれない。

80歳を超え、さまざまな健康の問題を抱えている天皇陛下夫妻が熊本地震の被災者を訪れて跪き、同じ目線でいたわりの言葉をかけている、という構図の方がよほど心を温かくしてくれる。
そこには当然だけれど「謝罪」がどうとかという駆け引きはない。

そういえば去年、鳩山元首相が韓国の抗日記念施設の前で土下座したという写真が出回っていたのを思い出す。

あれも希望のかけらもないものだった。

キリスト教的に言えば、心ら悔いればどこまでもゆるしてくれるのは神だけで、人が人から「ゆるされる」のは至難の業だ。

それに比べるとだれかを「ゆるす」方がまだ易しい。

「先にゆるす方が勝ち(すなわち和解や平和や安寧を得られる)」というのが長い目で見ると正しい。

けれども、「ゆるす」のは「ゆるさない」ことよりもはるかに難しいのだ。
でも、前述のごとく、「ゆるす」のは「人からゆるされる」よりは簡単だ。

そんなことをいろいろ考えさせられる独仏、日米の首脳の姿だった。

ただ、いくら百年前の戦争や71年前の原爆被害の教訓を新たにしたところで、問題はまた別のところにもある。

今の世界は「軍事力」の大小や強弱だけではなく、軍需産業も含めた「経済力」によって支配されている。
「経済力」による支配は「軍事力」に比べて見た目の野蛮さは少ないけれど、犠牲者は同じくらいたくさん出る。いや、もっと悲惨かもしれない。

サミット参加国のヨーロッパ勢を見ると、第二次大戦の「戦勝国」である「英・仏」は核兵器を所有し、敗戦国である「独・伊」は核兵器を持たない。
それでも経済的にトップを行くドイツが今や堂々とEUの中心国になっているのを見ても「力」のファクターが変化しているのが明らかだ。
過去にあれほど血を流し合ってきたこの4ヶ国がこれから先「軍事力」によって互いを攻撃したり支配したりするということはもうないだろう。

それでもヨーロッパには中東のテロリストが「戦争」をしかけてくるし、極東でも軍事力による脅威が高まっている。
核なし、軍備なしの戦後から、武器輸出もできて核も辞さない国へと変貌する国もある。

和解と平和を希求する人は、軍事と金の両方による犠牲者に目を向ける必要ところから出発しなくてはならない。
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by mariastella | 2016-05-31 00:20 | 雑感
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