L'art de croire             竹下節子ブログ

聖女ペトロニラ

5月31日は聖母の訪問の祝日だった。

そのせいで、同じ日が祝日の聖女ペトロニラの影がすっかり薄くなっている。

聖母の訪問の祝日は、第二ヴァティカン公会議以前は7月2日で、今でもスロバキアなどではその日に祝われている。7月2日というのは、472年にエルサレムからコンスタンティノープルにもたらされた「聖母の服」を納める教会が作られて聖別された日だ。それがいつの間にか聖母が従姉のエリサベトを訪問した記念の祝日になっていた。

キリストの誕生日が12月25日に決められ、それを基準にして受胎告知の日が9ヵ月前の3月25日となったので、7月2日なら妊娠の安定期だからマリアの一人旅の日に当てることは納得できないことはないのだけれど、マリアは従姉の家に3カ月滞在したとルカの福音書にあり、エリザベトは妊娠6ヵ月とあるので、おそらく洗礼者ヨハネの誕生と割礼まで一緒にいたと考えられる。

それなら7月2日は遅すぎるということで早められたのだろう。
受胎告知からまもなく天使のお告げを確認にしに行ったということともつじつまがあう。

しかし移動祝日である復活祭と重なることを避けるために、5月31日にしたらしい。

で、聖女ペトロニラが隠れてしまった。

しかも一世紀の殉教者はその記録や史実が曖昧であることもあって1969年には、ヴァティカンの公式祝日ではなくローカル教会の祝日へと追いやられている。

しかし、この聖女ペトロニラは、中世から近世のカトリック世界に大きな影響を与えた『黄金伝説』によれば、絶世の美女で、なんと「使徒ペトロの娘」ということになっている。
ローマにいたペトロが、多くの人を奇跡的に癒す業をなしていたのに娘のペトロニラだけはいつも熱があって伏せっていた。けれども神の業を示すためにペトロは娘の熱を自由に下げて招待客に給仕させることもできたという話だ。

別のルートの伝説では、ペトロニラは3人のローマ皇帝を出したフラウィウス朝に連なる女性で、ペトロによってキリスト教に帰依し、ペトロに仕えたという。

なぜフランスで人気だったかというと、フランス王は496年のクローヴィスの洗礼の時以来、「教会の息子」と称していたからで、「フランス」は女性名詞なので、政治的に少しずつ「フランスは教会の長女」という考え方があったからだ。

で、「教会」とは、イエスに礎石として選ばれたペトロ(岩という意味)を継承し、ローマ法王は聖ペトロの継承者ということになっている。
だから「カトリック教会の長女」すなわち「ペトロの娘」、ペトロニラという連想で、聖女ペトロニラがフランスの最初の守護聖女になったのだ。

でもノートルダム崇敬が盛んになり、ルイ13世がフランスを聖母マリアに奉献したり、ジャンヌ・ダルクが出てきたり、リジューの聖テレーズが出てきたり、ペトロニラはだんだんと押しやられる格好になった。

それでも面白いのは、今でも、5月31日には、ヴァティカンの聖ピエトロ大聖堂の聖女ペトロニラのチャペルで、在イタリアと在ヴァティカンの2人のフランス大使が招かれて、「フランスとフランス人のため」のミサが捧げられているということだ。

ヨハネ=パウロ二世がフランスに来た時に、「教会の長女よ、あなたは忠実でいるか?」と檄を飛ばしたことは有名だけれど、どんなに無神論イデオロギーを振り回しても、政教分離原理主義を掲げても、「教会の長女」という出自(?)はついてまわるのかと思うと「血は争えないなあ」などという言葉が浮かんでしまう。
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by mariastella | 2016-06-02 00:04 | 宗教
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