L'art de croire             竹下節子ブログ

ロマン・ポランスキーの『毛皮のヴィーナス』

そんな暇はないのに、ついついArteでロマン・ポランスキーの『毛皮のヴィーナス』を見てしまった。

2013年のカンヌの上映作で、当時何度もメディアで取り上げられたから概要は知っていたけれど、どう考えても私の好みのテーマではなく、ロマンスキーの妻でヒロインのエマニュエル・セニェも、若き日のポランスキーとそっくり、と話題になった舞台監督役のマチュー・アマリックも好みの俳優ではないので、スルーしていたのだけれどテレビで見てやはりすごいなあと感心した。

エマニュエル・セニェは、元となった戯曲のテキストを読んだポランスキーがすぐに「これは彼女だ」、と思ったというくらいだから、ぴったりだ。

彼女は名女優だ。この2人劇の膨大なセリフも祈りのように自然に繰り返して唱えられるくらいに記憶したと言っている(この祈りはいわゆる「ロザリオの祈り」のようなものをイメージしているのだろう)。

戯曲のさらに元ネタはオーストリアのマゾッホの自伝的小説で、戯曲はアメリカのものだったけれど、ポランスキーは今のフランス、というより「パリの知識人」の共同幻想に基づいてアレンジしている。

あらためて、世代は違うけれど、ポランスキーもセニェも、知的レベルの高さと妄想力の強さで似たもの夫婦なのだなあと思った。

セニェは、コメディ・フランセーズの名門のアーティスト家系でパリのブルジョワ地区で生まれ育っている。
演劇が国家のアイデンティティの肝であるフランスのエリートだ。
ポランスキーはパリで生まれているが、時代背景もあって波乱含みの少年時代を送っている。

で、2人共、才能があるだけではなく、教養が豊かで、にもかかわらずフランス特有の「インテリ-左翼-無神論」のスタイルがある。
映画でも強調される「ヴィーナス」の「異教性」もその表れだ。

映画の中で、ヒロインが、監督トマの妻のことをなぜかよく知っていることが分かるのだけれど、

「ルイ・ルグランのカーニュを出てノルマル・シュップのユルムね」

と言い、トマが

「いや、アンリ・キャトルでエセックだ」

と訂正するやりとりがある。

ルイ・ルグランとアンリ・キャトルはフランスのエリート養成機関であるグランゼコールの準備校の中でも双璧をなす国立学校で、ユルムのノルマル・シュップはパリの高等師範学校で最高の知性が集まり、エセックESSECはやはり一流のビジネススクールで、いずれも「庶民」にとっては違いすら分からない高嶺の花であり、「カーニュ」という言葉すら知らないだろうが、こういう細かい訂正の会話がさらりと通じているのがますます登場人物やポランスキー夫妻のエリート性を印象付ける。

ポランスキーは登場人物が3人であるほぼ処女作の『水の中のナイフ』を撮った時からもう、いつか登場人物が2人だけの映画を撮ってみたいと思っていたそうで、40年以上も経ってそれを実現したわけだ。

といっても、この2人の登場人物は、劇中劇の登場人物を演じながら、現実乖離して二重になっていく。
そこに「ポランスキーと似たアマルリック」と「ポランスキーの妻セニェ」が、「夫婦の妄想」みたいなものをメタ構成しているので、登場人物は、実は2人というより、6人が複雑に絡み合っている。

けれども、ポランスキーと似ていると言われたアマルリックは、当初のキャスティングではなく、当初考えられていたのはなんと『サン・ローラン』にも出てきたルイ・ガレルだったそうだ。

もしセニェより20歳も若い美貌のガレルが演じていたら、印象はずいぶん変わっていただろう。デカダンス性や倒錯性は高まっていたかもしれない。

一方、アマルリックは、ポランスキーに似ているとか似ていないというより、非常に「フレンチ・エレガンス」のある人だということがこの映画で大きな意味を持っている。

フレンチ・エレガンスというのは、情感、情緒、感動などを決して外にはマキシマムに出さないというところにある。生の「感情」を抑えるが、それは単なる抑圧でなく、まさにエレガンスで、別の形に加工して表に出す。

この映画でアマルリックが演じるトマは「見知らぬ女優に翻弄されて右往左往する男」を演じているわけだが、欲望と支配-被支配関係が変化する。女による最初の韜晦の後で、互いを同じレベルのエリート同士と理解した故に、劇場という密室での監督という「優位」を維持できない葛藤が生まれる。

彼女の台詞、彼女のしぐさ、彼女の即興などを目にし耳にするたびに、トマの顔が輝く。

これはこの映画の評で巷に言われているように、彼が自分のマゾヒズムに目覚めるとか欲望のとりこになり魔女の手にかかって地に堕ちていくというようなものではない。

このような状態に置かれてもなお残るトマの抑制、トマのエレガンスそのものがぞくぞくするくらいに刺激的なのだ。
知的に同等であるという認識を共有した男と女の間では、欲望が大きい方が欲望の対象から支配される。

(追記 : 通常女性より社会的にも腕力的にも優位にあることに慣れている男性が、「同等」の立場に立たされて、しかし欲望は大きいということで被支配の立場に置かれるというケースが多い。この映画もそういう構造になっている。セニェの方がアマルリックよりも背が高いのもおもしろい。しかしそれは別に(逆支配を内包する)マゾの喜びではない。純粋につらいのだ。その様子が、それを感知するセニェに全能感を与え女神が完成する、という意味ではフェミニスト映画かもしれない)

この映画を、フェミニズムの映画だという評もあり、いや、表面的にはフェミニズムによって男を支配しながら実は男による逆支配がある、という評もある。
つまり男のつくった映画である限り、表面に現れるフェミニズムの主張は、まさにマゾヒストの男が女に無理や女に男を鞭打たせているような倒錯的逆支配だということだ。

ポランスキーはそんなことは考えていないと思う。

彼は日本のポルノ映画のマゾの表現を観て驚いたと言っている。
その驚きが投影されただけで、フェミニストのふりをするつもりなど最初からないのだと思う。

この映画のシチュエーションを楽しみ、トマが深みにはまり状況が重くなればなるほど自由でシンプルに楽しんでいるに違いない。

その自由さ、シンプルさ、に観客は引き込まれるので、マゾの映画とか、ブラックコメディだけなら、他にいくらでも刺激的なものがあるだろう。

登場人物の2人の知的な駆け引きで面白いのは携帯電話だ。

トマと一緒に暮らしているインテリの「フィアンセ」からワーグナーのオペラの呼び出し音で二度電話がかかる。

この気まずさだけは、エレガンスでカバーできない。

アマルリックの魅力が切断される。

そして戻ってきたら、二度ともセニェも電話中である。

二度目は、話しているふりをしているだけだろう、と看破する。
この一度目と二度目との間の2人の理解度、力関係、ストレスの変化が、彼の「看破」に現れる。

それは知らぬ間に翻弄されだんだんと深みにはまったというよりは、むしろ自主的な「選択」に近づいたということだ。

だからそれ以後のトマの女装やらさまざまな幻想やらは、どう見えようとも「祝祭」なのだ。

「うっかり魔性の女に騙されてマゾの火遊びをしていたら大変なことになってしまった」

などという話では、ない。
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by mariastella | 2016-06-09 20:57 | 映画
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