L'art de croire             竹下節子ブログ

精神の健全さとは  その1

サイトの掲示板で「日本のカトリックの未来」みたいなことについてどう思うか問われた時に、私が大好きな中井久夫さんが最近洗礼を受けられた(しかも私が日本で最初にコンサートをした垂水教会で)というニュースに接したことに触れた。

その中井久夫さんが、統合失調症の患者さんらの「病気」の「治り方」についての体験から、「これこれができるようになった」という見方でなく、「これこれできなくても平気になった」という見方で精神の健全さを語ったものがある。

とてもよく納得できる。

統合失調の患者さんは、完璧に統合された時に「全快」するのではなく、失調を悩まなくなることを目指さなくてはならない。

それをカトリックとすり合わせてみた。

その15の基準の一番目は

1.分裂する能力、そして分裂にある程度耐えうる能力

だそうで、「分裂」の状態というのはもともと統合失調の人の最大の問題だろう。

けれども、あらゆる人間関係に対して統一された人格がある、という方が、危うい精神状態にあるのではないか、対人関係の数だけ人格があると割り切った方が健全だということだ。

私はこの「人格」は「アイデンティティ」ということだと思う。

キリスト教的に考えたら神に愛されている唯一無二の対象である「人格(ペルソナ)」は不変だ。
心身の状態に左右されない。

一方アイデンティティというのは、生まれた国や家庭やらによって決まる自分で選択できないものもあるし、社会の中で押し付けられたり獲得したり選択したものなどいろいろだ。
中には一人の人間の中で相反するアイデンティティもあるだろう。

でも、実際問題として、アイデンティティなどというものが表に出てくる時はたいてい差別的なシチュエーションが多い。

「まだ子供なんだからこれこれするな」、

「もう大人なんだからこれこれしろ」、

「なになに(女、外国人、難民、部下…)のくせに」、

などだ。

日本でマジョリティの普通の日本人は「私は日本人」と思って毎日生きているわけではないが、外国に行くと、「日本人」にならざるを得ない。
対人関係のない場所にはアイデンティティはない。
早い話一人で床に入っていれば「私は日本人だ」という意識もさまざまな肩書も関係なくなる。

ゲイの友人たちはホモ・フォビアに苦しんで戦っている時もあるけれど、別に一日24時間同性に性的に惹かれているわけではないし、乳幼児の時代も、寝ている時も、歯が痛い時も、病院で検査や治療を受けている時も、「ゲイ」のアイデンティティなど消滅している。

アイデンティティなど所詮そういうものであり、まさに精神の健康にいい時にだけ柔軟に繰り出せばいいのだ。

一つだけのアイデンティティに固執して自分をその型にはめようとすると、精神の健全さが揺らぐ。

ある程度適当に都合よくコロコロ変わっても、罪悪感や恐怖を感じないほうが「快方」に向かっているということで、鉄壁の自己が確立できた、と自信満々の患者の方がぜい弱だということだろうか。

もちろん、アイデンティティを自然に使い分けることで欺瞞や虚偽、不誠実につながったり、全体を統合するすべがないという場合は不健康なわけで、それを統合するすべのひとつが、「神に愛されている唯一無二の人格である私」という波止場なのかもしれない。

「対人関係」の地平における分裂は方便としてある程度必要であり、それを受け入れるのが健全で、その健全を担保するのが、「超越神との関係」の地平で得られる安心感と一貫性なのかもしれない。

これはフランスの多文化統合理念にもつながる。

フランスで移民の子弟が犯罪や暴動に向かうなどの報道がある度に、共同体主義のイギリスやアメリカからフランスの「統合政策」は破綻している、と批判される。

けれども、フランスの統合政策は「同化政策」ではない。みんながそれぞれの「ペルソナ」を守り、それぞれのルーツのアイデンティティを持ちながら、より大きな「共和国アイデンティティ」をも持つようにという政策である。

アメリカが人種や文化のメルティング・ポットだという言葉があるが、フランスの方が本当にメルティング・ポットの社会だ。国際結婚の割合、いわゆるハーフの子供の割合など世界一だそうだ。

ヨーロッパのフットボールのナショナルチームの顔ぶれがもっとも多彩なのはフランスだし、その子供たちのほとんどはハーフだから次の世代にはもっと混ざっているだろう。ジダンの子供たちもスポーツ界で活躍している(これは別に、スター選手だから稼ぎが多くて「白人」女性と結婚するというのではない)。

1人の人でもそうで、自分にさまざまなアイデンティティが課せられていたり自ら引き受けていたりしても、それを無理に「同化」して一つにまとめる必要はない。けれども、それらのアイデンティティをばらばらに抱え込んだままではなく、「共和国アイデンティティ」のようなメタレベルのペルソナのもとに「統合」することを目指すといいのだろう。

カトリックが提供するのは「心身の状態や社会的アイデンティティの如何にかかわらず神に愛されているペルソナ」ということになる。

統合失調の全快はそういうメタレベルでの「統合」を回復するということなので、「同化」に突き進むのは回復とは言えない、と中井久夫さんは観察したわけだ。
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by mariastella | 2016-06-14 16:49 | 雑感
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