L'art de croire             竹下節子ブログ

精神の健全さとは その3

(昨日の続きです)

3.二重拘束への耐性 

これは、「恋人を愛している」けれど「恋人からの電話をはやく切って眠りたい」というようなものだそうだ。

昔から「来て嬉しい、帰って嬉しい孫の顔」という表現があるのも似ているかもしれない。

田舎の祖父母のところにたまに訪ねてくる孫たちの元気な顔を見るのは元気をもらえて心から楽しい。けれども、その孫の世話に大わらわでいつもよりもエネルギーを使いすぎ、消耗し、もうそろそろ帰ってくれればいいのに、と思うのもまた本音、というわけだ。

孫でなくても、親の子育てだってそうで、可愛い思いと面倒だという思いで葛藤して罪悪感を抱いてしまうというケースはよく耳にする。
逆に、恩のある老親にいつまでも長生きしてほしいという思いと、いつまでも長生きしてもらうと共倒れになる、自由がなくなる、という焦りが共存していたり、自宅介護したいのか施設へ入れたいのかというジレンマに苦しんだりする人もいるだろう。

そのようなダブルバインドによって金縛り状態になって何もできなくなったり、片方だけを選んで後悔や罪悪感に苛まれたりしてやがて精神に不調をきたすというのは十分想像できる。

また、ダブルバインドから抜け出すために自分のやり方を絶対に正当化し、他人にもそれを認めさせようと「やり過ぎ」にはしることもある。

「律法」を遵守する原理主義的な融通のなさや、その態度をことさら強調する偽善者をイエスは嫌った。

「断食するときには、あなたがたは偽善者のように沈んだ顔つきをしてはならない。偽善者は、断食しているのを人に見てもらおうと、顔を見苦しくする」(マタイによる福音書/ 06章 16節)

むしろ、

「あなたは、断食するとき、頭に油をつけ、顔を洗いなさい。」(同06章 17節)

とアドヴァイスするように、外見と中身がそれこそ「分裂」したままでもいいのだ。

その方が無用なテンションを回避できる。

社会生活に支障をきたす深刻な「分裂」は病気だと見なされて治療されるとしても、治療後も「スキゾ親和性」を残すことが、その後のサバイバルを可能にするということなのかもしれない。

二重拘束への耐性が精神の健全さにつながっているらしい。
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by mariastella | 2016-06-16 00:05 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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