L'art de croire             竹下節子ブログ

精神の健全さとは  その4

(前回の続きです)

4.可逆的に退行できる能力

これには、赤ん坊をあやす母親や、動物に子供っぽく声をかける成人男性の例が挙がる。

統一され成熟した常識的な「私」が「出ずっぱり」では人は持たない。

赤ん坊やペットがいると幼児語で声をかけたりするのが自然にできる。

「何とかちゃんはかわいいでちゅね」

とか言いながら猫の腹に顔をうずめたりすることの気持ちよさは、多くの人が知っている。

大切なのは、退行できる能力だけではなく、退行した精神状態からすぐに通常モードに戻す能力だ。
退行状態から戻れずコントロールできないのならそれは社会的ハンディとなる「病的な」ものになる。

ペットの中では、犬より猫の方がいわゆる「ツンデレ」なので、こちらの退行モードを受け入れてもらえた時の喜びは大きい。

犬となら「主従関係」が前提にあるので、飼い主はあまり退行していられない。
ある程度の権威が必要だ。犬に自分が上位だと「勘違い」させることの危険はよく知られている。

ともかく相手が赤ん坊でもペットでも恋人でも、完全に無防備になれる存在がいて、「時々、退行」できるのが精神衛生にいいというのは納得がいく。

何かを前にして「カワイイー」とメロメロになれるのは多分女性の方がハードルが低い。

たとえ猫カフェの中でも、大人の男が「退行」していると違和感を覚えられるかもしれない。

カトリックの場合は、「聖母マリア」という永遠の母親キャラクターがいる。
男性修道者も安心して「子供にかえる」ことができて精神の健全さが保てるという意義は大きいかもしれない。

「厳しい父親」だけの宗教や修行では心が折れたり硬化したりするかもしれないが、「何をしても絶対肯定してくれる」という慈母のキャラクターは貴重だ。

しかも聖母マリアは「母」にして「永遠の処女(おとめ)」でもあるから、これも両義的で、甘えることも憧れ敬うことも可能だ。

峻厳な求道者が聖母の前で可逆的に「退行」するのを想像するとほほえましい。

「マリア、いのち」みたいな聖人は古来少なくないが、それが人々を救う大きなエネルギーに変わったのだとしたらバランスが取れている。それが「健全さ」なんだろう。
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by mariastella | 2016-06-17 00:19 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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