L'art de croire             竹下節子ブログ

精神の健全さとは その8

(前回の続きです。

ちょうど真ん中なのであらためて書きますと、これは、5月末にカトリックの洗礼を受けられた中井久夫先生が「統合失調症の方が治癒したという基準」として提案された精神の健全さの基準です。
完璧に論理的で意志が強く矛盾がない強く明るい自信に満ちた人間になることを「治癒」と見ることへの疑問から到達されたものだと思います。
これについてのこの一連のコメントは私の全く自由な解釈です。
また、先生の著書の文脈とは離れているかもしれませんが、スキゾ親和性がカトリック信仰と関係があるのではないかという観点から、すり合わせてみました。
中井先生ご自身が求められてきた信仰と関係があるのかどうかはまったく分かりません。)

8.一人でいられる能力

これには「二人でいられる能力」も付け加わるという。

これまであがった「能力」はどちらかというと、周りの空気や周りからどう見られるか、世間の基準などをあまり気にせずに適当なところで妥協して生きていける能力、に近かったのだが、それとは逆方向から、「孤独に耐える能力」に焦点が当てられる。

でも実は同じことを言っている。

周囲を気にせずに切り離してしまい閉じこもってしまうという極端な決断をするのではなく、世間を相手にしなくても、世間や周りから同意を得られなかったり批判されたりされる状態にあっても、扉を閉ざすことなくゆるい感じで一人でいられることだと考えたい。

「孤独」と、孤絶や閉鎖、閉塞とは違う。
過剰な防御反応をしないということもあるだろう。

言い換えると、「一人」に対して他者を敵とみなさないことだ。

他者は他者であるだけで、敵対者のレッテルを貼る必要はない。

逆に、絶えず他者からの承認がないと一人で生きていけないというのも健全な「一人」の精神状態ではない。

15項目の全体の文脈から言って、「人は自立や自律をしなくてはならない」という厳しいアドヴァイスではないだろう。

人生においていろんな局面で「一人になる」ことがあっても、それですぐにあわてたり、寂しさから最初の誘惑に手を伸ばしたり、落ち込んだりしないで、一人であるということを意識しすぎずに、心や生活の風通しをよくしながらやり過ごしていく能力ということだろうか。

「二人でいられる能力」ということの方がむしろ難しいかもしれない。

「一人でいられる能力」は自分次第で何とかなるかもしれないが、必ずしも自分が選んだわけではなかったり納得していなかったりするパートナーといっしょに暮らすのは、理想や完璧やコストパフォーマンスのよさなどを目指すと簡単なものではない。

というより、ストレスの種になるだろう。

世間の目だの社会の同調圧力だのをスルーするよりも、暮らしを共にする人からの批判、期待、失望、愚痴などをスルーする方が難しい。

こちらから相手を批判したり愚痴ったり相手に失望したり、自分の夢を相手に投影したりする方が多分ずっとたやすいが、それではもちろん相手の「生き難さ」を増幅してしまうのでそれが自分にもはねかえってくる。

ではどうすれば「二人でいられる能力」を高められるかと言えば、それこそ、これまでの1から7のスキルやこの後に続くスキルにヒントがあるというわけだ。

カトリックにすり合わせて考えると、

一人でいられる能力の獲得には、ひとりでなくキリストと共にいるという自覚、

二人でいられる能力の獲得には、二人ではなくキリストと三人で暮らしているのだという感覚が考えられる。

これを可能にするのが、洗礼であったり、神の前での結婚であったりするのだろう。

それが言葉の綾ではなくて、日々更新される実感として生きている人たちが実際にいるところが、「奇跡」である。
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by mariastella | 2016-06-21 01:12 | 雑感
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