L'art de croire             竹下節子ブログ

精神の健全さとは その12 と教皇のインタビュー

前回からの続きです)

12.現実対処の方法を複数持ち合せていること

これも今まで挙がったいろいろな「能力」発動を補完するものと言えるだろう。

例えば「しなければならないこと」を前にして障害物にぶち当たった時に、「あたって砕ける」のはやめるにしても、ぼーっと立っていたりまわれ右をしたりするだけでは挫折感が生まれる。

やり方を変える、問題の切り口を変える、全体はあきらめて部分だけにとりあえず対応する。
また、普段何とかまわっているルーティーンでも、歯車の一つが壊れた時に全部止まってしまわないように、代替法をいくつか用意しておくというのが危機管理になる。

あるいは、普段から、システムDで日常を切りまわしておくのもいい。

と、ここまで書いて、システムDがフランス語だということに気づいた。

Système Dで、DはDébrouillardise。

débrouillerってあまりにもよく使う言葉なので、何語だとかいう意識がなかった。

要するに、何とかする、とかやりくりする、適切な手段がないままにありあわせのものでトライする、かっこうをつける、という感じで、システムDはまさに、そういう応急手当みたいなやり方だ。

でも別に否定的な意味はなくて、工夫できる能力みたいなものが想定されている。

カトリックでいえば、教義や典礼がヴァティカンの中央集権でがっちり固まっているように見えて、実はインカルチュレーションにより、宣教地の教会でその場所の伝統や習慣に合わせてアレンジするのもありという面がある。

システムDを助けるのは「聖霊」の働きで、愛といつくしみが、「即興」を支える。

そういうシステムDの伸びしろがある。

そこに気づかないで、厳しくきっちりと、教えを遵守、正統を守らなくてはならない、などと、少なくとも、末端の人が自分を縛る必要はないし、ましてや他の人を裁くこともしてはいけない。

6月26日、アルメニア訪問の帰途の飛行機内で、いつも通りフランシスコ教皇が各国ジャーナリストからの質問に誠実に答えた

この終わりの方(38:34)に、オーランドでのLGBTクラブへのテロを受けてカトリックは同性愛コミュニティについて謝罪しなければいけないと発言したミュンヘン大司教のマルクス枢機卿の言葉をどう思うかという質問があった。

教皇は、「聖なる教会」ではなく教会の成員である罪びとであるキリスト者は謝罪しなくてはならない、ゲイだけではなく、貧者、労働を強いられている子供、暴力を振るわれている女性に対しても、多くの武器を祝福してきたことにも謝罪しなくてはならない、と答えた。神の国に導かずにこのような世界に至った責任の一端はキリスト者にあるということだろう。

教皇はさらに言う。

自分も罪びとである、しかしキリスト者は内面に聖霊を抱く聖人でもある。
「神の国」も同じだろう。罪びとがいて、聖人がいる。罪びとが少なくなるように神に祈らなくてはならない。

この教皇の言葉は、「両義性にある程度耐える能力」という精神の健全さのお手本みたいに見える。

謝罪して悔い改めても神になれるわけではない。

でも生き方の方向を修正することは、できる。
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by mariastella | 2016-06-27 23:36 | 雑感
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