L'art de croire             竹下節子ブログ

ネコを愛せると自分を愛せるかもしれない

先日、知人夫妻のうちでの昼食会で彼らの16歳になるテリアをたっぷりかまってきた。

でも、衰えがはっきり見える老齢で哀れをそそる。

うちの15歳の猫が毅然としてジャンプ力も衰えていないのとは全然違う。

私は生まれた時から犬のいる生活で、フランスで猫を飼うまで自分は「犬派」だと思っていて猫は苦手だった。というのは以前にも書いたことがある。

ウェブ上にはネコ好きのための、ネコがかわいいという動画はたくさんあって、そんな暇がないのにちょいちょい見ては後悔するのだけれど、最近、

「トコトン掘り下げ隊 だからネコが大嫌い20連発 」
というタイトルに出会ってつい見てしまった。

元「犬飼い」の元「猫苦手」派の私には笑えるほど納得のいくものばかりだった。

ほんとうに、あの犬のつぶらな瞳、飼い主に絶対忠実、呼ぶと必ずやってくるし、どこを触られても怒らない、というのは魅力なのに、いつもこちらがご機嫌伺いしなくてはならないような猫をいったいどうやって好きになれというのだろう。

それにいつ引っ掻かれたり咬まれたりするかもしれないし、触らせてくれるかどうかも分からない。

でも、「猫」派にとっては、それらすべてが「かわいい」のだ。

自分の思い通りにならない「お猫さま」に忍耐強く仕えて、少しずつ受け入れられてもらえる快感、ついに頭をすりつけてもらえたり喉を鳴らしているのを聞けたりする瞬間の嬉しさ、しかしそれも毎回続くとは限らない。

そんな猫を愛することを知ってはじめて、利己主義や自己中心主義のロジックから離れることを知る。
そしてそういう「利他」の受容と遂行を心から喜べるのがまた驚きである。

猫を飼っていて一番精神衛生にいいのは、かわいらしさやゴロゴロすりすりモミモミというしぐさなどではない。

自分の利己主義が相対的なもので、自分が見返りのない愛をそそげる、いや、たとえ痛い目に合わされても憎まずに愛し続けることができる、などという意外なキャパシティを発見できて、共生の形が広がることを実感できるところなのだ。

犬に愛してもらえると自分を愛することができるように、猫を愛することができると自分を愛することができる。
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by mariastella | 2016-07-13 18:08 |
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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