L'art de croire             竹下節子ブログ

ニースのテロについての言説(続きの続き)

今日がニースのテロの犠牲者のための三日間の国家の追悼の最後の日。

ニースでは、ホテルやレストランのキャンセルなどが続き、経済的打撃は大きいようだけれど、こういうとなんだけれどとにかく花屋さんだけは大繁盛だ。

犠牲者を悼む場所に花の山が追悼メッセージと共にどんどん増えている。

普通、この暑い季節に個人が花を贈りあうのは減るはずだけれど、花屋さんの前には長い列ができている。

百キロ以上の遠方からわざわざ花を捧げるためにやってきたという人もいる。

私はその場にいたらきっと感動するかもしれないけれど、テレビのスクリーンごしで離れて見ると、多くの花を捧げるアクションにあまり心を動かされないタイプだ。
変な話、自分が死んでも献花は一切お断りと書き残すタイプだ(生きている時にお花をいただくのはもちろん好きだけれど)。

でも、花といっしょに捧げられたいろいろな言葉の中に、パブロ・ネルーダの引用があったのには心を動かされた。

もちろんフランス語訳だけれど

« Ils pourront couper toutes les fleurs, ils n’empêcheront jamais le printemps. » (Pablo Néruda)

というもの。

「彼らはすべての花を切り取ることはできるだろう、けれども春が来るのを妨害することは絶対にできない」

もちろんニースの文脈での「花」とは、テロの犠牲になった命のことを指し、
「春」とは、それにも屈することのない平和と連帯への意志を指しているのだろう。

でも、ニースの炎天下でおびただしい花がこれからどんどんしおれていくだろうことを思うと、なんだか、別の意味が浮かんでくる。

情動に駆られた一時の連帯の高まりが下火になることがあっても、憎悪や暴力の連鎖によっては絶対に潰し去ることのできない大きな力もまた確かに脈動しているのだ、という意味である。

正午にはテロの度に提唱される例の「一分間の黙祷」がやってくる。

この言葉をこのブログにアップすることでそれに代えることにする。
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by mariastella | 2016-07-18 19:00 | フランス
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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