L'art de croire             竹下節子ブログ

フランスと黒人: ジュリアン・ランバルディの『マルリー・ゴモンへようこそ』

ジュリアン・ランバルディの『マルリー・ゴモンへようこそ』(Bienvenue à Marly-Gomont de Julien Rambaldi)は多分日本で公開されそうもない映画だろう。

私の関心のある「フランスと黒人」のテーマであると同時に、主人公がリールの医学部で博士号をとったのが1975年で、一家がピカルディの無医村に移住するのだけれど、ちょうど私が最初にノールやピカルディの村や地方都市の家々を訪れた同じ時期の話なので、懐かしいというか、雰囲気がよく分かる。

Kaminiというラッパーが子供時代を回想したラップを歌っていてそれが彼の両親の話なのだ。
実話をもとにしたものだ。

黒人が認められるには普通よりも努力して優秀にならなくては駄目だ、と父が子供たちに言ったり、サッカーで認められるのは無知な者がとる道だとサッカーを禁じたり、当時のフランス・チームに1人だけ黒人選手がいるのが映されたり、白黒テレビ(そう、1970年代半ば日本ではとっくにカラーテレビだったけれどフランスに来たら白黒が主流で驚いた。チャンネルも3つしかなかった)やダイヤル電話や、見渡す限りの畑と牛の群れとか、懐かしいしおもしろい。

70年代半ばに私が滞在したフランドルの田舎の隣人は「戦後にイギリス人を一人とベトナム人を一人見たけれどあなたは3番目の外国人だ」と言っていた。

日曜の教会のミサに出るのが住民全員の社交の場であることもよく分かる。

ここで、黒人一家がコンゴ(当時はザイール)から来ていることも重要だ。
コンゴはベルギー領(タンタンの冒険のコンゴ編を読むとその様子がよく分かる)であるからフランス語が公用語で、カトリック人口が多いのでフランスと相性がいい。

この映画ではクリスマス・イヴのミサで黒人医師の家族や友人がコンゴからやってきて、ゴスペルを歌いだすシーンが痛快だけれど、今のフランスでも、ブラック・アフリカの中でカトリックがマジョリティの国からの移民はすんなりと地域のカトリック教会に通うので、植民地時代の名残とはいえカルチャーの一部が共通しているのがよく分かる。

レイシズム、無知、子供たち、サッカー、いろいろなクリシェが面白おかしく繰り広げられるのだけれど、全体にエレガントでフレッシュで、楽しい。

このような村に黒人一家が来るだけでもインパクトがあるのに、体を見せたり触らせたりする医者という役割が深刻で、余計に人々の警戒心を誘う。

そこに自治体選挙まで絡んで、思いがけない展開になるのだけれど、夫婦の葛藤もよく描けていて、子供たちによる感動的なシーンには素直に心を動かされる。

この映画が批評家たちにはあまりうけていないというのは、「実話」の持つ意外な予定調和が嘘っぽく安易に見えるからかもしれない。

でも、「よそ者」、マイノリティを前にした時にすべての人間が陥る偏見や警戒や排他性の実態と、それが決してのり越えられないものではないことを教えてくれる小さな宝石のような映画だとすなおに思った。

今のフランスのサッカー・ナショナルチームの半数が黒人からなっているのを見ても、この映画の時代から40年の歳月が経ったことに感慨をおぼえる。

けれども・・・

もう少し視界を広げてみれば、事態は何も変わっていない。

正直言って、大学病院や研究室は別として、総合医と呼ばれるいわゆる町医者(個人で開業しているものや地域の医療センターの勤務医)のレベルで、私はこの40年間、黒人医師を見たことがない。

普通こちらではそういう開業医やセンターには看護師はいないので、看護師レベルの黒人もほぼ見かけない。

それは住民(つまり患者)に黒人の率が高い地域でも同様である。

フランスに多く差別の対象ともなって社会問題となるマグレブ(モロッコ・チュニジア・アルジェリア)系の医師はいる。
むしろ優秀な人が多いと認識されている。

移民の子弟というハンディを負いながら医師になるにはもともと普通より優れた知力や精神力や意志力を必要とするからであるからだろう。
そしてフランスでは医師となるには、医学部とは国立大学の医学部しかない。
1年目から2年目に行く時に9割が落とされ、留年は一度しか許されない(2度目に落ちたら別の学部に映ることは可能だ)。
しかし学費はほぼ無料に近い。
2年目の最初の研修で看護助手の資格を得られるので大学病院でのアルバイトも可能である。3年目から週一度は大学病院での研修が始まり夜勤も始まり、4年目からわずかながら給料が出て、5年目と6 年目では日本のインターンと同じく患者を診療する実地研修があり日本のインターンと同じくらいの給料が出る。
その後の医師国家試験はマークシートなどではない論文などで、その全国順位によって、その後4年間の研修勤務先と専門が振り分けられる。

4年後に博士論文審査に通れば「自由の身」になれる(ここが今回の映画の出発点。しかしその時代はまだ「一般医」に関しては医師免許取得後2年の研修でOKだった)。

開業するにしても、「保険医療外の診察」をできるためには公立病院での一定のポストに数年間つかなくてはならない。

フランスで医師になるには金がかからないし、その代わり、レベルは保証されるということだ。

だから「移民の子弟」にも道が開けている。

彼らに不利なのは、その道を志し、それが可能だと情報を与えたりモチヴェーションを与えてくれたりする環境の部分だ。

で、黒人。

黒人にとっても、基本的には同じはずだ。

それが1975年のリールですら可能だったからこそこの映画がある。

にもかかわらず、私は40年間、身近で黒人のホームドクターを見たことがない。

この映画によってそれに気づいた。

しかも、もっと衝撃的なのは、もしメディカルセンターに行って、ホームドクターを選ぶ(社会保険に届けなくてはならない)時に、黒人の医師と白人の医師がいた場合、自分はまず100%白人の医師を選ぶに違いないということだ。

ふたりの国家試験通過の成績や経歴を比べることはせず、肌の色で選ぶだろうということだ。

一般にフランスでは、医学のフィールドで、アジア人にはまず偏見がない。

インテリほど「東洋医学」への漠としたあこがれすらある。それに対してブラック・アフリカの医療は呪術だという偏見がある。
サッカーのナショナル・チームでは確かに黒人が半数に達しているけれど、国際大会でも、水泳や体操競技には黒人の存在感は極めて薄い。

陸上競技での活躍ぶりと比べるとはっきりしている。

スラム街でもボールを蹴ることができてスターになれるチャンスのあるサッカーと違って、賞金や給金の面でサッカーのスター選手とは桁違いに低く、訓練にも施設や道具などの初期投資が必要なスポーツはブラック・アフリカに不利である。

また、水泳では肌の露出が大きく、「違い」が目立つ。

加えて、「光と闇」「清潔の白と不潔の黒」などの多くのステレオタイプが黒人以外の集合無意識に浸透しているから、「同じ水に入る」ことへの忌避感を促す。

この場合も、日本人に対してはそれがないのは、国の豊かさに加えて、体操や水泳での国際的活躍から見てもよく分かる。

スケートでもそうだろう。フランスで唯一黒人女性スケーターが一世を風靡したことがあるが、そのテクニックと力は評価されても芸術点という名の「優美さ」は評価されなかった。
「白鳥の湖」の群舞に黒人バレリーナは入ることができない(身長、体形など他の多くの基準で落とされる人が多いのは当然だけれど、少なくとも白人やアジア人なら肌の色だけで落とされるということはない)。

アメリカで黒人差別の根が深いことは今現在も世界中の話題になっている。

しかし、フランスに長く住むアジア人である私自身が、もし選択肢があるなら黒人の医者は選ばないだろうという偏見があることに気づいたのはショックだった。

もちろん、信頼できる人から「あの医者は優秀だ」と推奨されたなら別だ。

つまり、同じ条件(その人の優秀さや経歴か分からない、評判も分からない)という場合には、「見た目」で選ぶということで、その見た目が肌の色であるということの衝撃。

「見た目」ということであれば、別に黒人だけが差別されているわけではなく、医療の世界では「40代から50代の男」というのが最も患者の信頼をそそり、どんなに優秀でもたとえば「30歳で小柄で若く見える女性」などは警戒されるのが実情だ。

こういう「見た目で選ぶ」というのは社会的に刷り込まれてきた忌むべき偏見なのだろうか。

あるいは、長い目で見て一種の「自然選択」としての合理性を有しているのだろうか(経験のなさそうな若い医師や心身の下り坂にある年配の医師よりも壮年が確かだとか、家族を支える責任を負っている「男」の方がすべてに真剣だろうとか‥)。

これまで黒人の生徒や黒人とのハーフの子供たちの生徒たちを教えた時にいろいろ考えてきたことを書いてきたことがあるが、これほどあからさまに自分自信の持つ偏見を照らしてくれた映画ははじめてだった。

もっとも、この映画を見て、みな笑って、最後にはほっこりして終わるというだけの人の方が圧倒的に多いだろうけど。

PS :

ふと思い立ってこのブログ内検索で「黒人」を入れてみたら、実に多くの記事で黒人について語っているのをあらためて知った。

ヨーロッパで何十年も暮らしている日本人である私が人種差別の本音について考える場合、一番わかりやすいからだろう。

ちなみにいつものおバカな「猫に置き換えて考える」脳内ゲームをやってみた。

まず、猫の外見が人間とかけ離れていることにはまったく差別感がないどころかかわいくてしょうがないけれど、今、私が倒れて、突然猫の姿の医者が診察しに現れたら、私は身をまかす前に、

「あっ、ち、ちょっと、待って、つ、爪、切ってますか…」

とあわてて聞くだろうなあ。

触診するなら肉球で触ってください。
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by mariastella | 2016-07-22 00:15 | 映画
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