L'art de croire             竹下節子ブログ

本棚

日本とヨーロッパを行き来していらした男性Fさんがパリのアパルトマンを引き上げることをお手伝いしている。ご本人は高齢なので来れない。

最近、寝室に残された蔵書を見た。

本棚三つ分くらいにぎっしりと日本語とフランス語を中心とした本がある。

ドイツ語や英語の本もあり、イタリア語辞典もある。

大きく分けて、音楽、美術、歴史、美学、マルクス主義を中心とした思想書、古典文学、詩、そして宗教、特に仏教の理論書、チベット仏教の解説書、などだ。

なんだかとてもなつかしいチョイスの本ばかりだった。

Fさんはは93歳で、日本語の本に関してはこれを少しずつ持ってきたのはいつごろかは定かではないけれど、今私の持っている日本語の本の大半も30年以上前のものばかりなので、重なるタイトルのものが何冊もあったのだ。

筑摩書房の三段組みの黄色い表紙の日本文学全集なんて、私も数冊もっているが、それは祖父の蔵書を分けてもらったものだ。
Fさんは私の母と同世代だけれど、その背表紙を見ると、なんだか数世代を超えてどこかにタイムスリップしたような気がした。

いわゆる研究者や「本好き」の人たちの書斎に何度か入ったことがあるけれど、それらはみな、本がうずたかくあり過ぎて、ある時は廊下にまで積んであったりして、マスとしての迫力はあったけれど、個々の本の背表紙を見て、ああこの人の関心の対象はこれなんだなあ、とか、この人の思想を形成してきたのはこういうものなんだなあ、という感慨は覚えたことがない。

たとえは悪いがいわゆる「ゴミ部屋」を見たような感じで、「ああ、私はこうならないようにできるだけ本を買わずにすっきり暮らさなくては」と自戒する方に心が向いてしまう。

だから私の蔵書は限られている。それでも普通の人から見るとたくさんあると思われるが、子供の時から本が増殖する部屋を見てきたので、本のないリビング、本のない寝室というのを夢見ていたのだ。それでもすぐ雑誌などがたまるので全く本なしというわけにはいかない。

で、Fさんの本を見て、とても親近感を覚えた。

これは彼の蔵書のごく一部だけれと、フランスにわざわざ持ってきた日本語の本は彼の精神のバックボーンの一部だったのだろう。

お会いしたときはすでに90歳だった。

それからかなり弱られたようだ。

最初に彼の本棚を見ていたら、もっといろいろなお話しができたのに。

世代も経歴も生き方も違うのに、本棚を見たら、友達、というより、きょうだいのような気さえしてきた。

記念に桑原武雄全集を譲っていただくことになっている。

桑原武雄なんてもう何十年も読んでいないけれど、何かきっと出会いがあるような気がする。
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by mariastella | 2016-07-23 06:57 | 雑感
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竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
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