L'art de croire             竹下節子ブログ

ツール・ド・フランス

今年のツール・ド・フランスは、サッカーのヨーロッパ杯の期間に始まったので、その陰に隠れていた。

その上、途中でニースのテロがあったりして、もし情緒的なタイプの選手がいたらいろいろ動揺したかもしれない。

それも今日が最終日。

今のサッカーと長距離自転車競技には、決定的に違うところがある。

ツール・ド・フランスには「入場料がいらない」、というところだ。

群衆が道の両脇に見物に押し掛けるのだから、検問などというものも不可能だ。

そのルートは毎年変わるから、実際、1984年の6月末だったか、パリ郊外の普通の通りの普通のうちである私の自宅前も通過したことがある。
自宅の2回の窓から見物できる国際レースなのだ。

また、フランスやヨーロッパのいろいろな場所を駆け巡るので、自宅から動けなくなったお年寄りがその風景を見るのを楽しみにして毎日テレビを見ているというケースもある。

長丁場なので、いろいろな物語が展開する。

百メートル走、棒高跳び、ハンマー投げなどの個人が速さや高さや距離を競う競技や柔道のように一対一の勝敗が決まるスポーツでは、「物語」は選手にまつわるエピソード(生い立ち、努力、協力者との感動ストーリーなど)抜きには形成されないけれど、ツール・ド・フランスではレース中にいろいろなことが起こる。

天候や地形という「自然」との関係も大きなファクターとなる。

といっても、ツール・ド・フランスも、サッカーほどではないにしてもメディアや広告業界の利権などがからむから、暗い部分もたくさんあるし、その筆頭はドーピングだろう。

その上、2001年にイヤホン着用が許可されてから「見た目」も走り方も変わった。

イヤホン・ヘルメットにゴーグルというみな似た姿で、ロボットのように表情が分からなくなり、天候や道路の状況などによって走り方を遠方から指示される。

その意味で冒険や失敗、事故は極端に減った。

その昔のように転倒で顔を血まみれにしても走り続ける選手がいるというようなすごみはもうない。

そんな中で、たまに、すべての指示を無視して「冒険」に走る選手もたまにいて、「スーパー敢闘賞」をもらうこともある。
先日のアルプスでの走りがそうだったらしい。

超人的なパフォーマンスとは別に、人は「人間味」を求めている。

サッカーでも、1984年にフランスで開催されてフランスが優勝したユーロ杯の決勝戦で、勝利がほぼ確かになった時点で捻挫してベンチに入った選手が、後に、その「捻挫」は勝利の喜びを補欠選手に味わってもらいたくて入れ替わるための嘘だったと告白したことがある。

牧歌的だった。
[PR]
by mariastella | 2016-07-25 01:11 | フランス
<< カフェの武装兵(追記) カフェの武装兵 >>



竹下節子が考えてることの断片です。サイトはhttp://www.setukotakeshita.com/
以前の記事
カテゴリ
検索
タグ
最新の記事
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧