31日にフランス中の主要な大聖堂や教会であったムスリムを招いてのミサは、歴史的出来事だったと思う。
世界の政治家を招いてのパフォーマンスだった2015年1月の表現の自由を守る「共和国の行進」よりもはるかに深いところで何かが変わるかもしれない。
31日はアメル神父の追悼ミサではなくて、普通の日曜(主日)のミサだ。
そんなミサに参加したたくさんのムスリムの姿にカトリックの信徒は明らかに感動していたし、ムスリムの人ははじめて足を踏み入れた教会、はじめて参加したミサに感動していた。
聖典も似ている、同じ神だ、という感想もあったし、聖餐の列に並んで司祭から祝福を受ける人もいた。
ミサの中の「キリストの平和タイム」には皆が握手をし合うことにも、普段でも、見知らぬ隣人とだれかれなしに握手するのが印象的だけれど、イスラム・スカーフを被った女性たちもみなと握手していた(ムスリムの女性が家族以外の男性と握手したのかどうかは分からないけれど)。
司祭たちは、ミサのはじめに、来てくれたムスリムに感謝の辞を述べた。
ルーアンの大聖堂のミサには殺されたアメル神父の妹さんが来ていて、イスラムの代表者たちに「私たちは今こそ希望が必要です」などと声をかけられていた。
アメル神父がみんなをつないでくれている。
ムスリムを教会に連れてきてくれたのもアメル神父だ。
殺人を決意して小さな教会に踏み込んだ2人のテロリストのおかげで、平和を望み神を信じる数多くのイスラム信徒が、祈るためにフランス中の教会に入ってきたのだ。
アメル神父が、生前に熱心にやっていたイスラムとの共生の業を、死後によりいっそう強く広く決定的な形で続けているかのようだった。
「教会の警備強化」よりもはるかにアメル神父の遺志を継ぐ展開だ。
これは特別の「追悼ミサ」ではなかった。フランスのムスリムが「主日のミサ」に気軽に来て祈る日が来れば変わってくる心象風景は確実にあると思う。。
(前にドイツでシリアの難民らが教会に来てカトリックに改宗するケースが多いこと、それは難民ビザの獲得に有利になることなどについて書いた。
でも、すなおに考えると、そういうムスリムの人はもともと敬虔で、故国での祈りの場所から追われ、普通に「祈り」の場所を求めて教会にやってきたのかもしれない。
そこで新しい典礼を発見し、イスラムに先行したキリスト教、コーランでもメシアだとされているイエス・キリストをめぐる信仰のバージョンの伝統に触れて感じるところがあったのかもしれない。
普段日曜に教会に行くことなど思いもつかない平均的なフランスのカトリック信徒には想像もつかない世界なのかもしれない。)
「死の意味」を創るのは、死者と、残された人ととの共同作業なのだろう。
キリスト教の成立自体がキリストの死と復活をめぐるディスクールの中で生まれたのだから、「経験資産」は半端ではない。
WYDの最終日に教皇は次のWYDが3年後のパナマで開催されると発表した。いつものごとく、若者に近い言葉で、神のメモリーは何でも書き込むハードディスクではない、最も有効な「心」というアプリをダウンロードしなさい、といった感じで、心のつながりにもとづく世界の平和のために積極的にコミットするように訴えかけた。
若者たちの輝く表情を見ていると、やっぱり、希望から目をそらしたくない。