パリから東北方向に150 キロほど行ったところにノートルダム・ド・リエスのバジリカ聖堂がある。
中世以来、パリのエリートたちご用達の大巡礼地だった。
黒い聖母系巡礼で有名なル・ピュイはオーヴェルニュだしロカマドゥールもピレネー方面で遠い。
シャルトルはずっと近いけれど、なぜノートルダム・ド・リエスが中世を通じて圧倒的な巡礼地となり、「奇跡」の生産地となり、そして、今はローカルな巡礼地になってしまったのだろうか。
東北方向はシャンパーニュに向かう。
フランス国王代々の戴冠式が行われたランスの大聖堂がある。
ノートルダム・ド・リエスの手前にはソワソンの大聖堂とランの大聖堂がある。
ランの大聖堂は今は司教聖座ではないが今でもカテドラルのタイトルを保持しているノートルダム大聖堂だ。
シャルトルのように大聖堂と巡礼地が一体となっているところよりも、ソワソン、ラン、ランスといった大聖堂の敷地内にいくらでも泊まるところがあり城もたくさんある地域なので、大聖堂に行ったついでに「特別の巡礼地」にも足を延ばせるというロケーションがノートルダム・ド・リエスを特別なエリート巡礼地にしたのかもしれない。
ここの歴史では第一人者であるロレーヌ大学教授Bruno Maesと話したのだが、彼の博士論文にもシャルトルとの対比はないし、ノートルダム・ド・リエスがどのようにしてフランスのアイデンティティにかかわる「ナショナル巡礼」になっていったかのことだけが取り上げられている。
聖母の巡礼地の地政学的宗教学的変遷について非常に面白い考察をしている人だけれど、私は今ナポレオンの「帝国カトリック」について書いているところなので彼の研究がフランス革命前で止まっているのも残念だ。
いわゆる「学者」の世界にはこういう時代的地域的枠組みの制限があるのは当然だけれど、それによって想像力や好奇心まで限られてしまうことがよくある。
ともあれ、からっとした快晴でそよ風もある快適な聖母被昇天祭、ノートルダム・ド・リエスの巡礼に行ってきた。(続く)