L'art de croire             竹下節子ブログ

ノートルダム・ド・リエス その7

(これはその6の続きです)

それでもなお、ノートルダム・ド・リエスの「ご利益」パワーは今でも「has been」とは考えられていない。

2013年にマリで人質になっていたフランス人が政府による長い交渉の末に3年ぶりに開放された。

リエスの司祭は、人質の一人の家族が特別に巡礼に来て解放を祈願したことを知っている。

一二世紀に三人の騎士をエジプトの牢獄から解放し、貧しい盗人を縛り首から解放し、司祭に裏切られた女を火あぶりから解放した黒い聖母子にとって、「人質の解放」は今でも「得意分野」とみなされているらしい。
今でも、人々が残していく祈願の言葉には「娘を今の生活から解放してください、娘が自由な生活を取り戻すことができますように」などというものが見受けられる。

今年はローマ教皇が特別に決めた「いつくしみの特別聖年」であり、各地のカテドラルや巡礼指定教会には司教に祝福された「いつくしみの扉」が設けられている。その扉をくぐって指定の祈りを捧げるなどすれば、罪の「全免償」が与えられるという。
たいていの場合、教会の正面の扉がその「いつくしみの扉」になるのだが、ノートルダム・ド・リエスでは、教会の入り口ではなく、祭壇の奥の黒い聖母子の大きなチャペルに通ずる特別仕様の入り口の上に「いつくしみの扉」と大きく書いた帯がはってある。

黒い聖母のいるところはいつも「いつくしみ」の場所なのだろう。

けれども、他にたくさんある「あわれみの聖母」とは印象が違う。

ノートルダム・ド・リエスの「リエス」というのは喜び、歓喜という意味だ。
もともと「リアンス」という名の村に巡礼地ができたのが、15世紀に「リエス」と、ふさわしい名に進化した。

そのせいか、教区の人たちの雰囲気は明るい。
特に、典礼歌を歌い指揮する女性はうれしくてたまらないというようにずっとにこにこしている。
それを見る共同司式の司祭の顔もほころんでいる。

この女性を見るだけでリエスの意味が伝わる。

こういう典礼歌や聖歌の斉唱でここまでずっとにこやかな人は見たことがない。
ひょっとしてこのリエス(歓喜)の聖堂では、歌はにこやかに歌えという伝統があるのだろうか。
と思って聖歌隊の人や会衆席の人をちらりと観察したけれど、輝くように笑っているのはこの女性だけだった。

その幸せそうな様子が伝染して私も楽しくなった。

考えてみたら、一人で現れて涙を流す悲しそうな聖母や悪魔をふみつける勇ましい聖母よりも、両手をいっぱいに広げて膝の上に立つ幼い息子を誇らしげに披露している黒い聖母には、笑顔が、よく似合う。
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by mariastella | 2016-08-24 01:31 | 宗教
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