L'art de croire             竹下節子ブログ

「父の祈りを」(ジム・シェリダン) その2

(これはこの前の記事の続きです)

父と子のテーマ

父と子が同じ房で暮らしていたというのはいくら演出でも不自然な気はする。

ともかく刑務所の中で二人はそれまでの生活すべてよりたくさんの言葉を交わして濃密な関係になる。

自分がはじめてサッカーの試合で勝った時に父親がほめてくれずに「ペナルティを誘発したのではないか」と質問したことを息子は忘れられない。

そこは父親が「よくやった」とまず祝福してやるべきだったというのは教育心理学的に正しいだろうが、この父親にとっては、息子のチームが勝つことよりも、息子が「不正をしない」「正々堂々と戦う」ことの方が大切で、それこそが息子に伝えたいメッセージなのだった。

だから、大人になった息子が泣き崩れても、父は「悪かった、本当はお父さんも君たちを誇りに思っていたんだよ」などということは言わない。

息子が峻厳な父からほしかったメッセージは、「よくやった」という言葉以前に「愛してるよ」という一言だったろう。

それは、子供の時も刑務所で同房に勝った時も実は同じなのだ。

父はそれを言わない。

息子を愛しているのは自明だからだ。
愛しているからこそ、「不正をしない」立派な人間になってほしいと思っている。

どうして母親が気づいてやれなかったのだろう。
「今はとにかくあの子に愛してるよとだけ言ってだきしめてやって、」と。

それは、父親が、この母親には「愛してる」と言い続けてきたからだ。
息子には「父」としての責任を感じて「正しい生き方」を見せ、「正しい生き方」を教えることが使命だと思って優先してきた。しかし、母親は自分の守るべき存在であり、愛を表明する存在だった。

だから母親はただ愛していると父親から言ってほしい息子の気持ちを忖度できなかった。
多分、自分自身は息子に「愛している」と言ってきたから、まさか息子が父からのその言葉に飢えているとは思わなかったのだろう。

もともと「愛している」という言葉を家庭で発さない父親なら息子もそこまで父の愛の表明を渇望しなかったかもしれない。でも彼は父が母に「愛している」と言えるのを知っていた。

父は息子がドラッグを吸うのが許せない。息子は「わかった、お父さんが生きている間はもう吸わないと誓うよ、それでいいかい」と言うのだけれど、父は許せない。

結局、一生吸わないと誓わされる。息子はいい加減な男だけれど、この父との間に交わされる「誓い」には二枚舌が不可能だということを知っている。

そして息子がそれを知っていることを父も分かっているので、安心するのだった。

このシーンは親子の間に実は強固な信頼関係があることをうかがわせて救われる。

父の死後息子が冤罪を証明するために戦うのは父の愛した母のためでもあった。
父が死んだ後、母に向け続けられた父の愛を表明することが彼の使命となった。

彼ははじめて父親から必要とされたのだ。

息子役のDD ルイスも父親役のPポスルスウェイトもさすがの名演だ。

ただ、見た目があまりにも違っているので、映画の中の父と母から絶対にこんな息子は生まれないだろうというレベルの違和感がついてまわった。
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by mariastella | 2016-08-29 00:32 | 映画
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