L'art de croire             竹下節子ブログ

「インドの聖女」マザー・テレサ その4

(これは昨日の続きです)

Q. マザー・テレサは、ヒンズー教徒にショックを与えませんでしたか? 彼らから不可触賤眠とみなされている人たちのそばでずっと過ごしたのですから。

A. それこそ、多くの人が衝撃を受けたパラドクスです。
マザー・テレサは神の顕現であり、同時に日常的に「不浄な人たち」と生きていたのですから。

「死に行く人の家」の門の上にはI thirst(私は渇く)という言葉とともにイエスの磔刑像が掲げられていました。

それは、十字架に「不名誉な死」を見る一定の人々にとってはいつも何かの間違いのようにとられていました。
もしキリストがそんな死に方をしたのなら、彼は前世で悪人であったに違いないからと思えたからです。

そのスキャンダルに加えて、「死に行く人の家」の場所が、カルカッタのカーリー女神の神殿の巡礼者の受付だったところに作られていた事実があります。
マザーは同じ場所に神殿のブラーマンも死に行く賤民も配したわけです。

神殿では供物の山羊が喉を掻き切られ、隣では断末魔の賤民が死んでいく…それなのにこの不可解さが、マザー・テレサへの崇敬を妨げるということはありませんでした。
みんながマザーという生き神を崇めていました。

確かに、復活の栄光のキリスト像ではなくて十字架に釘打たれて苦しむ不吉この上ない磔刑像を掲げるカトリックは輪廻転生の文化圏にとってショッキングだろう。

マザー・テレサは、路上で死にかけている「賤民」よりも、もっと悲惨な姿の「神」を前面に出してみせた。

マタイ伝の有名な箇所(25, 34-40)を想起させる。

『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。 いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』
そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』

マザーにとって、「渇き」死んでいく人たちの世話をするのはキリストの世話をすることだったのだ。

(続く)
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by mariastella | 2016-09-07 00:41 | 宗教
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